「……私は、欠陥品なんです」
 まだ二人だけの生活をしていた頃、彼女が一度だけそう口にしていたのを憶えている。
 その時はまだ「欠陥品」という言葉の意味を深く考えずに、「そんなことは無いよ」と彼女の髪を撫ぜてやって、それに対して彼女は嬉しそうに、でもどこか影の残る微笑を浮かべていた。
 少し後、生活を変える決断をするに至って百々野研究所のことを仔細に調べ上げた際に、いつぞやの少女の言葉をふと思い出して、その意味に気付いた。
 百々野ラボの掲げる「P.S.Y.システム」は現在の一般的なP.O.T.の運用とは一線を画した面白いものだった。であるのに今まで研究資金に困窮していた理由。
 彼らの中にはP.O.T.の人格形成技術に精通した人材がいない。
 優秀なP.O.T.ディベロッパには必ず優秀な人格形成エンジニアがいる。強固な人格は戦闘状態において柔軟に戦意のコントロールを行ない、常に的確なアクションとリアクションを取ることを容易とする。言い換えれば、優秀な人格形成エンジニアなくして優秀なP.O.T.は誕生し得ない。
 百々野ラボの「P.S.Y.システム」は興味深いものだったが、肝心のP.S.Y.シリーズは不安定な人格が災いし、システム有用性を示すだけのユニットは生まれなかった。アルファからイオタまで9体の作品はいずれも「実用に耐えない」との烙印を押され。百々野ラボは投資家から見捨てられた。
 そして、研究員たちの望みを託されて生まれた10番目のP.S.Y.ユニット「κ」は、彼らの心情を嘲笑うかのような、完膚無きまでの欠陥品だった。

 P.O.T.――Primitive Objects for Terminator【機械生命体の原始オブジェクト】。
 その中でも軍用として開発されたその少女のあまりに皮肉な欠陥。
 「κ」はまったく戦えなかった。



 事業戦略会議を終えた月那が会長室へ帰ってくると、ソファに座っていた彩姫が立ち上がって「お帰りなさいませ」と頭を下げ、それから本日の「メンテナンス報告」を記録したメモリースティックを差し出す。それを受け取る月那の顔は渋い。彩姫の顔色が紙のように白かったからだ。
「あ……今、お茶をお持ちしま……」
「それは後ででいいから、横になって休んでな」
「……でも」
「いいから」
 あくまで「仕事」をしようとする彩姫の両肩を掴んで、月那は強引にソファーに座らせる。抵抗はほとんど無かった。精神的な理由ではなく、自分の力にも抗えないほど疲弊しているのだということを彼は理解している。
「マスター」
「お茶が欲しくなったら俺の方から催促するから、それまで休んでること。いいね」
「……はい」
 彩姫が小さくうなずいたのを確認してから、月那は自分の執務用の机に腰を落ち着ける。
それから先ほど彩姫から受け取ったメモリースティックからコンピュータへとデータを抽出し、ディスプレイに映し出す。線や円や棒のさまざまなグラフが詳細として表示され、それぞれについて研究員の評価が併記されている。その中からまず全体を総括した報告文をピックアップし、彼はどことなく冷めた瞳でそれを見る。
 総合戦闘能力:Dマイナー(※注1)(※注2)。
「相変わらずお話にならないレベル、か」
 口の中で小さく呟く。
 初めて「メンテナンス報告」を受け取った時、月那は愕然とした。本当にP.O.T.として創られたのかと思うほど、彩姫の戦闘力は底辺の域にあった。一般的にDレベルといえば簡単な調整のみの、コスト低減以外に何の売りも無い廉価版のP.O.T.にしか付かない水準だ。フルスクラッチモデルである彩姫に付くような値ではない。
 しかも実際にはDマイナーの域にも達しない、つまり実用すらままならないレベルであり、しかしP.O.T.の規格にはDマイナー以下の評価が存在しないために一番下の値がつけられている。その旨が注釈1として、今も懇切丁寧に補足されている。
 月那は続けて注釈2に目を通す。「極めて限定的な状況においてわずかながら性能の向上あり。しかし実用の度合いは不明」。この注釈は二度目のレポートから追加され、以来彩姫の評価は常にこの状態から動くことは無い。
 椅子に深くよりかかってため息をつく。会長が独断で創設したP.O.T.部門は依然として事業のていを為さない。また会議で吊るし上げられるのは間違い無さそうだ。
「何とかトライアルコンテストを乗り切らないと、まずい状況だな……」
 呟きながらウィンドウのひとつを指で小突く。そこには研究所からの、自分宛のメッセージが表示されている。
 明日、Eraser-Unitの起動試験を実行。是非立ち会われたし。
 月那は立ち上がると、ソファーに腰掛けて小さな寝息を立てている彩姫に自分の上着をかけてやる。せめて今だけは、その小さな体をゆっくり休められるようにと。

 廃ビルの解体現場に停められた3台の車。
「κの致命的な難点は、戦うことを恐れていることです」
 技術主任が手元のファイルをめくりながら、隣に立つ月那にそう告げる。その報告自体は以前から受けていたが、こうして目の当たりにするのは初めてだった。
 彼の視線の先で、普段の白いワンピースから戦闘用のインナーに着替えたP.S.Y.κ――彩姫は緊張した面持ちで月那を見つめている。その様子にはどこか怯えの色があった。
「今日はまだ落ち着いていますね……たぶん、貴方が目の前で見ているからでしょう」
 彼女の傍らでは、所員たちがP.S.Y.シリーズ用外部戦闘デバイス、Eraser−Unitの最終調整を行なっている。肩の上からかぶせるように装着されるそれには、彩姫の腰よりも太く巨大な腕が一対、蛇のようにしなやかに伸びる腕が一対、飴細工のような華奢な作りの小さな腕が一対備わっている。
「まるで阿修羅だ」
「『Eraser』は形式的呼称ですから、実用化に至ったらそのような名前にするのも良いかもしれませんね」
 まるでもらった子犬に名前をつけるような調子で主任は言う。
「よし。κ、プロセッサ・コアを起動しなさい」
 主任に促されて彩姫が小さくうなずき、両手で捧げ持つように手にしていた、青く光る小さな水晶を自分の胸元へと近付ける。その手が止まり、彼女は不安そうな視線を一瞬月那に投げ、意を決してそれを自分のコア・コネクタにはめ込んだ。
「っ!」
 瞬間、少女の表情が苦痛に歪む。プロセッサ・コアから送信されるデータを見つめていた主任が眉をひそめてかぶりを振った。
「惨憺たる数値だな」
 そこに表示されているコアの制御係数は、月那の感想通りのものだった。市販のP.O.T.でこんな数値を出したら即刻廃棄処分だ。
「イレイザーの試験は?」
「中止します。一度彩姫のメンタルを落ち着けて再度トライしますが」
 月那は彩姫を見つめる。苦しげな顔で、今にも泣き出しそうな瞳で、彼女も自分を見る。
 彼が彼女の名前を呼ぼうとして、その瞬間爆音が鳴り響いた。

 月那らのいる場所から程近いところに立つマンションの屋上にいた、メタリックブルーの戦闘服で身を固めたそのP.O.T.は、手に持つレールガンを再度撃ち込む。狙いは寸分違わず錦会の社用車の一台に命中し、轟音と閃光と爆炎を上げる。
 彼女はケケケと笑うと、まだ炎を上げていない最後の車に向けてレールガンを発射。狙われた車は他の2台と同じ運命を辿る。これでもう逃げられない。
 背中の制御翼を展開し、屋上の床を蹴って空中へ飛び出し、グライダーの要領で滑空する。後は目標を抹殺するだけだ。

「くそっ」
 悪態をひとつ吐いて月那は上体を起こす。最初に車が爆発した時の衝撃で吹き飛ばされ、強かに体を打った。
「対立組織の襲撃ですか」
 白衣を土埃で汚した主任が少しかすれた声で訊ねてくる。月那はたぶんと答えた。心当たりは十二分にあった。
 それから彼は周囲を見回す。所員たちがやはり地面に倒れてうめき声を上げている。
「彩姫! 彩姫、無事か!」
 姿の見えない少女の名を叫び、刹那、側頭部を強烈に殴られた。再び地面に倒れ込んだ彼の脚を、それより一回り細い脚ががっと踏みつける。
「標的発見」
 月那を殴り倒したレールガンを彼の頭に向かって構え直し、そのP.O.T.は残忍な笑みを浮かべた。
「まさか標的の偉いサンが護衛の一人も連れていないなんてね。楽な仕事だわ」
 自分を見下ろす目を、月那は正面から睨み返す。
 彼女はフフンと笑ってレールガンの銃爪に指をかけ、次の瞬間その目を大きく見開いた。間一髪横に飛び退き、次いで巨大な爪が彼女の影をかすめる。
「彩姫!?」
 月那が叫んだのは、距離を離した刺客と自分との間に割って入ったいびつなシルエットの主の名。青白い顔で一目だけ振り返る少女の名。
「出来そこないのポンコツが邪魔をするな!」
 後に分かった事実だが、敵対企業と通じていた所員がいた。彼は本日この場で起動試験が行なわれること、そして彩姫が実用に耐えない性能であることを漏洩していて、だからこのP.O.T.は目の前のP.O.T.が見掛け倒しだと考えていた。
 彼女はレールガンを構え、彩姫をターゲッティングする。

「マスター」
 いつもの、ともすれば聞き落としてしまいそうなか細い声。
「私は……戦うのが、怖いです……。傷つくのは怖いし……傷つけるのも、怖いです……」
 その声が、今はさらに小刻みに震えている。
「でも、それ以上に、私は……貴方を失うのが、怖い」
 月那は直観する。自らの精神を壊してしまいそうなほどの恐怖に耐えて、少女は今、戦おうとしている。
 自分の為に。
「だから……私は……」
 少女の言葉が一瞬途切れ、
「戦う」
 その声は最後までか細く、震えていて、今にも泣き出しそうだった。

 レールガンの銃爪が引かれ、同時に彩姫が自分の腕よりも華奢な「Eraser」の第三腕をかざす。発射された超高速の弾丸は展開された斥力フィールドに阻まれて目標を外れ、廃ビルに直撃する。
 彩姫の脚がたわみ、足元の土を爆発的に跳ね上げて踏み込む。青色のP.O.T.は左手を背中の高振動ブレードの柄に伸ばしながら右手でレールガンを構え、狙いをつける前に振り下ろされた巨大な腕がそれをただの鉄屑に変える。
 抜きざまに振り下ろされるブレードから彩姫は身をかわし、しなやかに動く第二腕で相手の脚を掴み上げる。そして空中でさかさまになった相手の無防備な身体に、巨腕の拳を叩きつける。青色のP.O.T.が声にならない叫びを上げ、殴られた衝撃でガラスのように砕けた装甲材の破片が周囲に飛び散った。
 有り得ない。そのP.O.T.の思考回路がひたすらその言葉を吐き出す。
 事前に得た資料によれば、相手のP.O.T.は実戦経験どころか、ろくな戦闘シミュレーションもこなしていない。普通ならば、そんなP.O.T.がぶっつけ本番でろくな動きが出来るわけがない筈なのに。
 だが、彩姫は初めて使う外部デバイスを完全にコントロールし、瞬く間に敵に大打撃を与えた。その事実に月那もまた驚愕していた。
 彼が呆然と見つめる先で彩姫が第二腕を動かし、相手の額に装着されていたプロセッサ・コアをもぎ取る。「Eraser」の胸部の蓋が開き、格納したコアの情報を解読した後に自壊プログラムを送り込み破壊する「Eater」が露出する。
 もぎ取ったコアを「Eater」に収め、そこでようやく彩姫は掴んでいた脚を手離した。まだシステムが正常に戻っていない青色のP.O.T.は重力に引かれるまま地面に崩れ落ちる。もし基本システムが復旧しても、プロセッサ・コアを奪われた彼女はもはや闘うことは出来ない。
 「Eraser」をまとった彩姫が振り返る。可憐な姿にひどくひどく不釣合いな六腕の戦闘デバイスをぶら下げ、その表情は人形のように無色で、何も映さない。
「ご無事ですか、マスター」
 地面に腰を落としたままの月那に、少女は自分自身の手を伸ばす。彼がその手を取り、彩姫は少し力を入れて主人が立ち上がるのを助けて、
「……っ!!」
 立ち上がった月那の胸に飛び込んで、彩姫は大粒の涙を流す。彼女の肩から緊急排除された「Eraser」が地面に落ち、その拍子に格納していたプロセッサ・コアが吐き出され、地面に転がり鈍く光った。

 P.S.Y.システム。
 従来のフルスクラッチモデルP.O.T.は、過去に蓄積されたデータを0と1の数字の束でしか格納することが出来ない。だから一体のP.O.T.をロールアウトする毎に、出来上がった人格に「感覚」を教え込む必要がある。
 だが、P.S.Y.シリーズはそれを不要のものとした。過去のシリーズが感じ覚えた「経験」を、全て次代にフィードバックすることが出来る。
 10番目のユニットであるκの延べ戦闘時間は、シミュレーションを併せれば膨大なものとなる。「Eraser」の制御経験もまたしかり。
 技術主任は胸を張っていた。P.S.Y.システムはフルスクラッチモデルの量産を格段に容易のものとする。いずれ我々の概念が世界を席巻する、と。
 月那はディスプレイに表示した昨日のレポートにもう一度目を落とす。
 戦闘経験がまったく無い筈の彩姫が初めて使用する「Eraser」を完全に使いこなし、敵P.O.T.を戦闘不能にした。
 「P.S.Y.システム」のデモンストレーションとしてはこれ以上無い成果だった。これまで百々野研究所と彩姫を無用のものと言っていた役員たちも黙らせるだろう。
「κに必要だったのは、恐怖を抑えて戦うことの出来る何かでした」
 撤収作業を進める間際、主任は自分にそう言った。
「戦うことを恐れて研究所を脱走し、その末にその『何か』を手に入れた。我々にとっては結果として喜ばしいことでしたが……彩姫にとっては、なんとも皮肉な話です」
 デスクの隅に、小さな音を立てて湯気を立てるマグカップが置かれる。視線を向けると、こちらを見ていた彩姫と目が合った。
 「P.S.Y.システム」を軌道に乗せる為には、さらに過酷なプロセスをこの少女に強いなければならない。テストタイプとしての任を終えるまで、幾度となくこの顔を苦痛と恐怖と悲哀で歪ませることになる。
「すまないな」
 一言、口にする。その言葉が差し出したカップに対する礼ではないことを表情で悟った彩姫は、首を横に振る。
「私の選択したことです……マスターと一緒にいるには……ここしか、無いから」
 そう言って微笑する彼女の入れてくれたコーヒーに月那は口を付ける。舌に広がる苦味にもそろそろ慣れてきてしまった。
 あの日以来、コーヒーはブラックしか飲まないと決めていた。
 それはいつか彩姫を自由にするまでの、他愛の無い願掛け。

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