そこには二人の少女がいた。
「ご機嫌そうね、魔理沙」
「ああ。あの図書館には相当愉快な本が大量にあったぜ。帰りにでもまた寄るかな」
 片方はつややかな黒髪に赤いリボンを飾り、巫女服を模した和装とも洋装ともつかない衣類をまとう少女。手にぶら下げた玉串が、かろうじて彼女が神職であることを示している。名は、博麗霊夢
 片方は黒い帽子から輝く金色の髪をあふれさせ、闇を模した漆黒のローブを着込んだ少女。或いは箒を持たずとも、少女が魔女であることが分かるかもしれない。名は、霧雨魔理沙。
「ふ−ん。そんなに面白いの? 私も何か借りていこうかしら」
「やめた方がいいぜ。素人がむやみにいじると仕込まれた呪いが読み手に襲いかかるようなものばかりだからな」
「……そうね。やめとくわ」
「そうでなくとも霊夢に読めそうな本なんて絵本くらいしかなかったしな」
「ふざけやがって〜」
 二人の少女の口調は、その辺りの道端で他愛もない雑談に興じる様そのもの。
 ただし、実際にそのやり取りが行われている風景は、少しばかり普通ではなかった。
 なにせ黒白の少女は空に浮かんでいたし。「失礼な。普通の魔法少女は空を飛ぶものだぜ」
 なにせ紅白の少女も空に浮かんでいたし。「失礼な。普通の巫女は空を飛ぶものよ」
 なにせ二人の少女が浮かんでいる場所は、およそおしゃべりをするのに相応しくない、広く長く高く、何より豪奢な廊下であったから。
 なにせ二人の少女の周囲には、彼女たちの両手の指の数よりも多人数の屋敷のメイドたちが、手に手に刃物や魔方陣を携えているのだから。

 ここは紅魔館。幻想鏡の片隅に位置する、まるで人の血のような赤い屋根が特徴的な、悪魔の住まう洋館。
 二人の少女は招かれざる客として、激しい歓待に及ぶメイドたちに慎んで遠慮申し上げながら、屋敷の奥へ奥へと向かっていた。
「それにしても、こんなに大量のメイドを倒すとはな。ワシントン条約に引っかかりまくりだぜ」
「殺しちゃいないから大丈夫よ。条約違反でも殺人犯でもないわ」
「あいつらは人じゃないけどな」
 確かにもし殺しても「殺人」にはならないわね、などとのんきなことを考えていた霊夢は、ふと自分たちを取り巻く環境の変化に気付いた。あれほどたくさん、やっつけても次から次へと現れていたメイドたちが、いつの間にか影も姿も無くなっている。
「嫌な静けさね」
「こいつは多分。いわゆるワーニングってやつだぜ」
 魔理沙の軽口が、魔法の扉を開ける合言葉であったかのように。
 廊下の奥、たたずむ闇の中から、彼女は現れた。
「またメイド?」
「でっかいサカナじゃあなかったな」
 あっけらかんとした顔で首を傾げる霊夢のかたわらで、魔理沙は小さく息を呑む。現れた瞬間から彼女が叩きつけている殺気が、先ほどまで相手にしていたメイドたちのそれとは比べ物にならない程激しかったから。
「私はここのメイド長の十六夜咲夜。この館の管理を任されているわ」
 そう名乗って、少女――十六夜咲夜は瀟洒に一礼して見せた。
「博麗霊夢。巫女よ」
「博麗霊夢。巫女だぜ」
「怒るわよ魔理沙」
「強盗かと思ったら漫才? 変な客が来たものね」
「別に漫才をしに来たわけじゃあない。外の紅い霧を消してもらいに来たのよ」
 そう言って霊夢は壁を指さした。この館は窓が極端に少ないので、そうそう外の風景を指させはしなかった。
 そして、咲夜は首を横に振って、霊夢の申し出を即座に却下した。
「うちのお嬢様が、暗いの好きだから。消してって言っても消したりはしないんじゃないかしらね」
「なら力ずくで消させればいいな」
「ふうん。面白いことを言うわね。そんなことを……」
 咲夜は組んでいた腕をほどき、霊夢と魔理沙に向けて左腕をかざす。
 その手に瞬時に現れる投擲用のナイフ。赤い邸の赤い光の中で、研ぎ澄まされた刃が銀色に輝く。
「この私が許すと思っているのかしら」
 青色の瞳が、手にしたナイフと同じくらいに鋭い光を帯びる。

 それすらも刃と言わんばかりの咲夜の視線を浴びながら、箒にまたがった魔理沙が、霊夢よりわずかに前に出た。
「霊夢。ここは任されるぜ」
 霊夢は即座にうなずく。
「待つのも面倒だから、先に行くわ」
「そうしてくれ。この真っ赤な夜にも、いい加減飽きてきたからな」
 魔女は自分がやる方が時間がかからないと考えたし(霊夢のやり方はのらりくらりとのんき過ぎるんだよな)、巫女は面倒ごとがおしなべて嫌いだったし(魔理沙がやってくれるってんならそれでいいわ)、二人とも今夜やるべきことはとりあえず一致していたからだ(とりあえず、輝く太陽を取り戻さないと「ね」「な」)。
 なので霊夢はもう一度、ん、とうなずいて、咲夜のいる空間を大きく迂回するように加速する。
「行かせるものか」
 咲夜の手が閃き、手にしていたナイフが彼女の横を抜けようとした巫女に向けて投擲される。霊夢はそれには気付いていないかのように、廊下の奥だけを見据え、一直線に空を駆ける。
 霊夢のそれに遥かに勝る速度で彼女に迫る銀色の牙は、しかし霊夢と咲夜を隔てるように一直線に穿たれた光の本流によって残らず打ち砕かれた。
「魔女」
「行かせると言ったからな」
 魔理沙の指先に宿っていた燐光がふっと消える。確認するまでもなく、今の閃光を放ったのはこの少女だ。咲夜は小さく眉をひそめると、
「じゃ、あんたをとっとと片付けて、それからすぐにあの巫女も片付けにいかないとね」
「私の相手はそんなに簡単じゃないぜ」

「簡単よ」
 咲夜がそう言った次の瞬間。
 本当に次の瞬間。
 魔理沙の胸に深々と、二本の短剣が突き刺さっていた。
「ほら、終わった」

 崩れ落ちる魔法少女を、咲夜は既に見ていない。きびすを返し、まだ廊下の彼方にかすかに見える紅白の背中を見とめ、
「マジックミサイル」
 崩れ落ちる魔法少女の右腕がわずかに浮き上がり、刹那、六条の緑色の閃光が咲夜目掛けて殺到した。寸前で翠玉の弾丸は互いに接触し、派手な爆発音を伴って炸裂し、小さな星を撒き散らして霧散する。

 霧雨魔理沙は、箒にまたがったままのけぞった姿勢を元に戻し、頭の上からずれた帽子を直し、それから胸に突き刺さっていたナイフを抜き取る。その刃には一滴の血もついておらず、少女の胸に開いた穴からも、何もこぼれるそぶりはない。
「びっくりだぜ。いきなりナイフは突き刺さるし……せっかく撃ったマジックミサイルはよけられるし」
 魔理沙の視線の先には、空中で悠然と腕を組み彼女を見据える十六夜咲夜。その立ち位置(浮かび位置?)は、マジックミサイルを撃ち込んだ時にいた場所からはだいぶ離れている。魔理沙が「おかしいぜ」と首を傾げると、彼女も片手を口元に当てて、目の前の魔女をいぶかしむ表情を形作った。
「私のナイフは確かに刺さったはず。何故生きている?」
「こんなこともあろうかと、服の中に本を入れておいたのさ」
 魔理沙はブラウスの中に手を突っ込むと、分厚い装丁の本を引きずり出す。先ほど通過した図書館から失敬したものだ。
 ハードカバーの表紙には無残に穴が開いているが、厚さと硬さのおかげで魔理沙自身に怪我はまったく無い。
「道理で、不自然に立派だと思ったわ」
「お前の立派なそれも、本か何か入っているのか?」
 咲夜もまた自分の懐に手を入れる。
「あいにく、自前よ」
 取り出したのは、それなりの隙間さえあれば収められそうな、小さめのナイフ。
「お前まさか、そいつを収納していた場所は」
「羨んでいいわよ」
「羨ましくなんかないぜ」
「そうだねえ。欲しがっても手に入らないものだしね」
「いいや。きっと時間が解決してくれるぜ」
「これ以上あんたにやる時間はない」
 手に持ったナイフを、タクトのように振るう。
 瞬間、それまで無音だった空間が、オーケストラが一斉に発した音で満たされるかのように、魔理沙の四方八方にナイフが出現した。そのことごとくが銀色に輝く切っ先を少女に向けて。
「流石に、全身に本を入れたりはしていないでしょう」
「入れてないぜ」
 返答を合図にしたかのように、ナイフが一斉に魔理沙に襲い掛かる。咲夜は今度は魔理沙から視線を外さなかった。どこか予感していたのかもしれない。まだこの少女にとどめを刺すには至らないと。
「代わりにこんなものが入っているがな」
 魔理沙は今度はナイフが突き刺さる前に、懐から一枚のカードを取り出した。そして一言。
「恋符」
 触れている指先から、魔理沙の魔力が一息でカードに流れ込む。瞬間、目も眩むほどの閃光が迸る。
「『ノンディレクショナルレーザー』!」
 閃光は光条となり、光条は空を薙ぐ剣となり、剣は雲霞の如き刃の群れのことごとくを打ち落とす。留まらぬ光はさらに屋敷の空気をかき回し、廊下の紅い壁紙を破き、紅い絨毯を引き裂き、紅い天井を削り、そこに吊るされたシャンデリアを粉砕した。

「少しやりすぎたかもしれないな」
 言葉とは裏腹にこれっぽっちも反省していなさそうな不敵な微笑。
 それを見据える青水晶の瞳からは、廊下に転がる綿埃を見下ろしているような冷たい色は完全に消え去り、今は酷く酷く酷く不機嫌そうに歪められている。
「かもではなくて事実だし、少しでなくて大いにやりすぎよ。誰が元に戻すと思っているの」
 十六夜咲夜はそこにいた。無秩序に襲い掛かる光の柱の全てを完全に回避しきって。
「……運がよければ当るかもと思っていたんだが、無傷か」
 浮かべていた不敵な微笑が、わずかにひきつる。
 さっき撃ったマジックミサイルもそうだった。炸裂する直前まで動くそぶりすらみせず、爆発からかなり離れたところに浮かんでいた。そして今、自分の放ったレーザーを全て避けきって涼しい顔をしている。
 或いは未来予知、その可能性を魔理沙は捨て去った。単に「それだけ」ならば、二度のナイフ攻撃のトリックが分からない。目の当たりにした現象から推測出来る、絶対の攻撃力と防御力を所有し得る能力。
「時間」
「ご名答」
 魔理沙の呟きは問いの形を為していなかったが、咲夜は乾いた拍手と共に肯定した。
 全て納得のいく結論。時間を止められるのならば、「止める」その一瞬さえあればどのような攻撃だってよけられる。時間を止められるのならば、相手の感知できない時の流れの中で大量のナイフをばらまくことだって出来る。
「そんなに簡単にばらしてしまっていいのか?」
「そもそも隠そうとも思っていないし。そもそも、分かったからどうだというの?」
 腕を組んで胸を張る十六夜咲夜。その態度に魔理沙はチッと舌打ちした。
 彼女の言う通りだ。相手が闇を操るなら光で貫けばいい。氷を使うなら炎で溶かせばいい。だが、時間を止める相手に対して、果たしてどのような抵抗手段があるというのか?
 それを一番強く理解しているのはおそらく十六夜咲夜本人であり、故に彼女は自分の能力が知れることに何らの危惧も持たない。
 その咲夜が見下ろす先で、魔理沙はおもむろに抱えていた本を開く。
「ええと、残り一秒で時間を止め返す方法は……」
「載っているの?」
「載ってないぜ。『四方八方にレーザーを撃ち出す方法』は載っていたんだがな」
「ああ。やっぱりパチュリー様の魔法だったんだあね」
「便利そうだったんで真似をしてみたが、慣れてないんで加減が出来なかったんだ。情状酌量の余地はあるぜ」

「私の目の前に現れた時点で死刑は確定してるのよ」

 言うが早いか、魔理沙の眼前に刃の華が咲く。うおおおと喚声を上げながら急上昇でそれをよけ、さらに左旋回、別のナイフの軌道から身をかわす。
「イリュージョンレーザー!」
 魔理沙の放つ光の帯がまっすぐに咲夜に伸びる。だが咲夜の姿は次の瞬間には忽然と消えうせ、光はただ何も無い空間を貫くばかり。
「あなたの時間も私のもの。古風な魔女に勝ち目は、ない」
 声の方角を向く。十数本の短剣。咲夜の姿はない。魔理沙は舌打ちひとつ短剣の隙間に飛び込む。別の方角から襲い掛かるナイフ。よける。さらにナイフ。急降下と急旋回を駆使してよけきる。
 今度はまた十数本のナイフ。逃げ場を無くすように放射状。マジックミサイルを放って数本を撃ち落とし、その穴に飛び込み、急上昇。よけたナイフが壁に当って、速度はそのままに軌道を変えて再度襲いかかる。「嘘だろ!?」マジックミサイルを連射、さらに反転して連射。投擲体勢にあった咲夜はそれをよけ、手にしていたナイフを間髪入れず魔理沙に投げつける。それをよけながら呼吸を整える。
「魔法使いは生類哀れみの令だぜ。もっと大切にしてくれ」
「黒くてすばしっこい生き物はメイドにとって忌むべき仇なのよ」
「人をアレみたいに言うもんじゃないぜ」
「アレそのものでしょ。そうでなければ何だっての?」
「そうだな。霧雨魔理沙、魔女だぜ」
 ふんと息を吐きながら半目でこちらを睥睨する咲夜に、魔理沙は不敵な笑みを返す。
 参ったぜ。こいつは。面白すぎる。
 今夜も既に幾人もの妖怪やら何やらを相手にしていたが、これほど気分が高揚したことは無かった。もしかすると、かつて霊夢と弾幕を交えた時以来かもしれない。

 咲夜の姿が高速で流れる。反射的に魔理沙はそちらを振り向いた。そこにはナイフを構えた瀟洒なメイドの姿、が、ない。
(──ミスディレクションか!)
 誤った判断をさせる為の恣意的誘導。咲夜がわざと姿を見せるように動いたのがその為だと気付いた時には、凶刃は既に魔理沙の背の間近に迫っていた。全力で前方へ加速。一瞬遅ければ背中をばっさりと斬っていたであろう刃に上着の繊維だけを食させて、距離を取ったところで宙返り。上下逆さまになりながら呪文を唱え、「マジックナパーム!」青い楔状の弾丸が咲夜めがけて撃ち出される。咲夜はそれを紙一重で回避、だが弾丸は後ろの壁で爆発し、爆音と爆風が彼女の意識を一瞬そちらに向けさせる。
「魔符『ミルキーウェイ』!」
 握ったカードに込められた魔力が解放され、色とりどりの星の奔流が正面に向き直った咲夜の視界を埋め尽くす。全身に衝撃を受けながらも彼女は時間を停止、凍りついた天の川から自分の体を引きずり出す。停止していた時間が動き出し、対象を失った星の嵐が紅魔館の廊下に大穴を穿つ。
「よけるな」
「よけるわ」
 瞬く間に襲いかかるナイフの雨。魔理沙はマジックミサイルを連射して撃ち落とす。その先からなお現れる刃の壁。「マジックナパーム!」まとめて吹き飛ばす。壁や天井で反射したナイフが襲いかかってくる。レーザーで一角を薙ぎ払い、突破口を自ら作成。下方を見下ろすと、絨毯に突き刺さったナイフを手に取るメイド長。
「無尽蔵に来ると思ったらそんなトリックか。せこいぜ」
「経費節減の為よ」
 咲夜の手がひらめく。十数本のナイフ。さらに逃げ場を奪うように左手側から十数本。魔理沙は右に旋回。咲夜は時間を止めて空を滑るナイフをつかみ、魔理沙に向けて投げ直す。「冗談じゃないぜ」急上昇して回避、した先にナイフを構えた咲夜。体をひねって、振り下ろされる刃を自分がまたがる箒で受け止める。次いで鞭のようにしなる脚。よけきれず、したたかに右肩を打たれながらも呪文。「ミサイル!」撃った先にあった筈の咲夜の姿はあらぬ場所。
「あんまり色気がないな」
「何を見てるのよ」
 咲夜の両手が手品のようにナイフを握り、それを投じる。二重の刃の幕に、魔理沙は青色の楔を撃ち込む。爆発して出来た空洞に身を通す。背後から咲夜、投じられたナイフを上昇してかわし、急降下しながら「ストリームレーザー!」二本の光条を咲夜は紙一重でかわす。最初に投げたナイフが壁や天井に反射し、魔理沙を包み込むように再接近。魔理沙はミサイルを連射して咲夜を牽制しながら、さらに降下速度を上げ、ナイフが追いつく前に包囲を突破する。
 再び一点に集中するナイフ、それを時間を止めて手にする咲夜。

「メイド秘技」
 低い呟き。魔理沙の背筋に悪寒。交錯する視線。咲夜の瞳の色が、青水晶から、上った月よりも紅い赤へと転じる。トランス、無我、そんな単語が魔理沙の脳裏に閃いた刹那。

 「『殺人ドール』」

 正鵠無比の高速連続投射。魔理沙は一瞬たりと速度を緩めず、その空間を駆け巡る。追いつかれたら終わり、動きを読まれても終わり、制御しうる限界ぎりぎりの速度で軌道を不規則に変える。身を掠める刃がまとった黒衣を切り裂き、肌に紅い筋を作る。頭をすくめてよけた一撃は帽子の真ん中を射抜き、魔理沙の頭からそれを奪い取って背後の壁に縫い付けた。「くそっ、お気に入りなのに!」再び頭を狙った一撃。間一髪でよける。頬に切り傷、切り落とされてぱらぱらと舞う金髪。「命をふたつも傷つけられたぜ」。
 こちらも攻勢に転じる為に正面に向き直った瞬間、一本のナイフが魔理沙の眉間を到達点として正確に飛来。反射的に右手を出す。手のひらの中心に衝撃、熱、視界が一瞬、紅で統一された屋敷の内装よりなお紅い赤に染まる。
 一瞬動きを停止した魔理沙に向かって雨のように降り注ぐ凶刃。「魔符」それが到達するより先に、魔理沙が左手に取ったカードが光を発する。

「『スターダスト・レヴァリエ』!」

 あと一瞬で少女の肉を突き破ろうとしていたナイフを、パステルカラーの星が撃ち落とす。現れた五色の星は五通りの軌道から咲夜に迫り、時間を止めてその間隙を抜けた。
 間隙を抜けた、その時彼女が殺人人形の紅い瞳で捉えたのは、新たなカードを構えて不敵に笑う霧雨魔理沙。自らが放った星の影に隠れ、咲夜が飛び出すのを待っていた。

 目が口の代わりに「絶好の間合いだ」と語っている。そして口は言葉の代わりに、その詞を告げた。

「恋符『マスタースパーク』!」

 十六夜咲夜がまず目にしたのは、光。屋敷を埋め尽くす紅も、瀟洒な従者の銀も、全て真っ白に塗りつぶす光。次に衝撃。巨大な掌に全身を押しつぶされるような強烈な衝撃。耳を砕くような轟音は最後に来た。
 光は巨大な大砲となって、その線上にあるあらゆるものを打ち砕き、彼方に消えた。
 ありったけの魔力を消費した霧雨魔理沙は、いくつもの廊下といくつもの部屋を貫き、ついには館外の景色まで望めるほどの大穴──マスタースパークの打ち砕いた跡を見つめて、ふぅーっと大きく息を吐いた。それは身体じゅうにたまる熱と疲労を少しでも逃がすように吐いた息に見え、或いは。

「よけるな」
 或いは嘆息。

「……よけるわ」

 十六夜咲夜はそこにいた。双眸は青へとその色を戻し、余計なしわひとつ無かったメイド服はボロボロになり、美しく整った顔は苦痛に歪められていたが、それでも彼女はそこにいた。「マスタースパークの直撃を受けながら時間を止めるとはな」その精神力に、魔理沙は素直に感嘆した。
「だが、もう勝負にならんだろう。もう全部のカードを切ってしまったんじゃあないか?」
 言いながら、まだ右手に突き刺さったままにしていた短剣を、魔理沙は無造作に引き抜く。それを宙に放ると、マジックミサイルで粉々に打ち砕く。
 直撃こそ避けたものの、咲夜はもう限界近くまで消耗している。魔理沙はそう読んでいた。
 そして魔理沙の読み通り、咲夜はマスタースパークからの脱出で大半の力を使い果たしていた。時間を操ることも叶わず、懐に収めたナイフも全て投げ尽くしている。魔理沙の言葉はそれを知ってのものでは無かっただろうが、彼女が「全部撃ち尽くした」状態であるのは確かなことであった。
 それでも。

「全部?」
 呟いて、彼女は笑みを浮かべた。
 それは霧雨魔理沙がこの短時間で見た彼女の笑顔の内、もっとも美しく、もっとも凄惨な笑顔。

「あるわ、まだ。私には」
 魔理沙が息を飲み込む。咲夜は己の両手を組み、目を伏せる。
「例え全ての刃が砕けたって、お嬢さまに捧げた永遠の忠誠が」
 館の外から入ってきた風が銀色の髪を静かに揺する。
「私に力をくれる」
 そして、組んだ両手を突き出した。
「なっ!?」
 館の廊下に響く魔理沙の叫び声。

 刹那、迸る力の奔流。十六夜咲夜の両手から、それは狙いもろくに定められず、闇雲に放たれる破壊の矢。持てる力の全てを、相手を打ち砕くその為だけに注ぎ込まれた最後の嵐。
 床を削り、天井をえぐり、壁に雨のように降り注ぎ、シャンデリアを吊るす鎖を断ち切り、落下したそれを空中で捕らえて粉微塵に砕いて硝子の霧を作り出す。
「くそっ、まだこれだけの!?」
 直撃を避けるために右へ左へ、さながら大風に煽られる風見鶏を思わせる動きをしながら、魔理沙はただただ感心していた。限界まで自分の力を使い果たして、それほどまでも侵入者を打ち倒そうとする。彼女を突き動かす強い強い感情。思念。想いに。
 魔理沙は笑って、両手で箒を握り締める。ナイフで貫かれた右手がズキリと痛むが、その痛みで何かが覚醒したような気がする。
 不敵な炎に燃える瞳を、魔理沙は咲夜に向けた。その目が口の代わりにと語っている。「ならば私も応えるぜ』である為に、全力でお前を打ち倒すぜ」。
 そして口は言葉の代わりに、その詞を告げた。

「スーパーナチュラル・ボーダー!」

 自分に残るありったけの魔力全てを注ぎ込んで、魔理沙は眼前に星を模した楯を形作る。こちらも、本当に全部を撃ち尽くす。
「その忠誠で霧雨魔理沙を打ち砕けるか、試してやるぜ!」
 そして彼女は、咲夜に向けて一直線に突っ込んだ。
 手元にガンガンと伝わる衝撃。咲夜の放つ魔力塊が楯に当たる。距離を詰めるほどその数も勢いも増す。それでも魔理沙は、退かない。

「いざッ、よいッ、さくやァッ!」
「きィりィさァめェまりさァァァ!」

 もはや二人の距離は皆無、咲夜の両手の前には魔理沙の張った結界がほとんど密着と言っていいほどの至近にある。激しい衝撃に全身を揺さぶられつつも、魔理沙は血をしたたらせる右手を伸ばして、
「……私の、勝ちだぜ!」
 咲夜の手をつかみ、組み解いた。



「……あんた、バカね」
 十六夜咲夜は心底呆れた顔で、ボロボロになった紅い絨毯の上に大の字になってぶっ倒れている霧雨魔理沙を見下ろし、はぁーという音が彼女に聞こえるくらいに大きく嘆息した。
「うるさいぜ」
 組んだ手を解いたところで、即座に力の放出が止まるわけではない。
 結局魔理沙は咲夜の手を解いたところで、余波に吹っ飛ばされて墜落した。命に別状は無いものの、憎まれ口を叩く以外は指一本動かせないほど今はボロボロに疲れ切っている。
 はしゃぎすぎた。魔理沙は心の中で自嘲する。あんまりにテンションが上がりすぎて、外の怪異もこの屋敷のお嬢様のこともどうでもよくなってしまった。目の前の強敵を相手に自分の力がどれだけ及ぶか、そのことだけに頭がイってしまったのだ。
(まったく、図書館にいたヤツといいこのメイドといい、この館は私には刺激的すぎるぜ)
 クククククと笑い声をもらすと、咲夜の自分を見下ろす視線が心底訝しげなものに変わった。
 当の咲夜は、最初はこの少女を、殺すか、とも思ったが、すぐにその考えを心の屑篭に放りこんでいた。
 ナイフを拾いに行くのも面倒だったからである。
「おい、メイド長」
 相変わらず倒れたままの魔理沙は、その姿勢のまま咲夜を見上げてにやりと笑う。
「引き分けにしておいてやるぜ」
「ああ、そうかい」
「植物の名前がどうかしたか」
「それでいいわよ、って言ったつもりなんだけど」
 お互いに勝ち負けを決定付ける気力が無くなっているわけだから、魔理沙の言う通りに引き分けでいいのだろう。いずれにせよ、十六夜咲夜としては霊夢を追いかけられなくなった時点で負けであるのだから、どうでもいいことだった。
 そう、彼女も今は、目の前に広がってる魔法少女に負けず劣らず、力を使い果たして疲労困憊の極地にあった。立っているのも億劫になってきたので、彼女はその場に腰を落とす。
「霊夢を追いかけなくていいのか?」
「どうせ間に合わないわ。時間だって止められないし、空を飛ぶ元気すらないし」
「それでいいのか」
「いいのよ。どうせ……お嬢様には分かっていたことでしょうから」
 彼女の主人、レミリア=スカーレットは、運命を見通す能力を持つ。レミリアは何も言わなかったが、多分こうなる運命だって見えていただろう。
 故に咲夜は追いかけない。たとえ歯車を止めたって、それが動き出せば針はまた回る。そしていつかは必ず十二時を指すものだ。だから私の役目はここで終わり。
 それでもせめて、あの巫女にお札の一枚くらいは使わせてやりたかったというのも、また紛れも無い本心なのではあるが。自分の至らなさに咲夜は瞳を閉じて嘆息する。
 とりあえず、今は色々なものを見たくなかった。二人の激闘の余波を受けて、今は見るも無残な状況になっている廊下の風景とか。特にあの大穴を修繕することなど考えると、暗澹とした思いにとらわれる。
「大変そうだな」
 彼女の思うところを察したのか、相変わらず大の字になったままの魔理沙が、せせら笑うような声を出す。開いた目から精一杯温度を下げてあんたのせいだと言いながら、口からは別の、床に寝そべる魔理沙の姿を見ての率直な感想を吐き出す。
「そうやってると、潰れたアレみたいね」

 なので魔理沙も、とりあえず視界に収めたものに対する率直な感想を口にする。
「さっきも言ったがお前はもっと色気のあるやつを」
「見るな」

 廊下に出来た大穴から望める空には、赤く紅く爛々と輝く満月。
 今夜はまだ長くなることだろうと、少女は思った。



後書き

 ……おかしいなあ。最初はこんな、少年漫画みたいなクライマックスでは無かったのですが(苦笑)
 とはいえ、幻想郷の住人は基本的にふわふわした連中ばっかりですが、そんな中で霧雨魔理沙は「ねっけーつ!」な描写が割と似合う方だと思います。俺が思うだけかもしれませんが。
 煽られる形で咲夜さんも、ついあんな風に。あーほらー咲夜さんて追い込まれるとキレる人ですし。
 とまあ往生際の悪い言い訳はこのくらいで。

 咲夜vs魔理沙です。説明の必要は無かろうと思いますが一応書いておくと、「東方紅魔郷」をベースにしています。
 そしてこの組み合わせは、実は以前に書いた「夢幻咲妖」でもちらっと書いたマッチメイクだったりします。今回は一応弾幕アリで。でも相手の弾を撃ち落としたりとかしてます。
 元々、自分がひと続きの話として「紅魔郷」を書くなら、「咲夜の相手は魔理沙である」というのを構想(=妄想)しておりまして、今回このような形にしてみました。
 それにしても咲夜さんの戦闘シーンは書いてて本当に楽しいです。なにせ色々なことをやらせることが出来そうなキャラですから。霊夢じゃ絶対にこうはいきm(封魔陣)

 ちなみに「殺人ドール」は、話のベースが「紅魔郷」なので「メイド秘技」にしてますが、アクションとしてイメージしているのは「幻符」の方です。大好きなのです。
 あと、健全なメイドが色気のあるやつをナニしてるのはよくないと思います。

 で、ふと思い立って唐突にタイトルを変えました。

 何はともあれ。
 ここまで読んで頂いたことに、心から感謝いたします。
 ありがとうございました。

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