冬を抜け、夜を抜け、天空の果ての結界を抜け、三人はほの昏い冥界の、白玉楼へと続く道をひた走っていた。
 死者の世界へ闖入してきた生ある者たちに、幽霊たちがいっせいに襲い掛かってきたが、霊夢の法術と、魔理沙の魔術と、咲夜のナイフによってことごとく打ち倒された。
 そして、白玉楼の門へと差し掛かる石段の手前で、彼女は待ち構えていた。
「止まりなさい、人間。ここから先へは行かせない」
 黒塗りの鞘からすらりと抜いた長刀を構え、冥界の風に白銀の髪と黒いリボンをなびかせ、魂魄妖夢は三人の招かれざる客を見据えていた。
「あなた、門番?」
「わたしは庭師」
「冥界では庭師が門番をするのか」
「庭を守るのが庭師の役目なら、庭に入りそうな害虫を駆除するのは庭師の仕事でしょう」
「一理あるわね」
 三人は立ち止まる。目の前の少女は、強い。これまで追っ払った幽霊たちとは格が違うことを肌で感じていた。
 けれど彼女たちにもこの先へ進む理由がある。相手が強そうだからとすごすごと帰るわけにはいかない。
 だから、取り敢えず三人はこの石段を速やかに上がる方法をてんでばらばらに考えて、
「メイド長。任せるぜ」
「分かったわ」
「あら、素直ね。なんで私がとか言うと思った」
「私は自分の目的が達成出来ればそれでいいの」
「過程などどうでもいいのだーってワケか。流石だな」
 そして、霊夢と魔理沙が同時に地面を蹴る。
 抜き身の楼観剣を構えた妖夢は微動だにしない。自分の横をすり抜ける二人を視線ですら追わない。妖夢の双眸は片時も、不敵に微笑む十六夜咲夜から離れることは無かった。

「行かせてよかったのかしら?」
 咲夜の右手がついと上がり、白玉楼の階段を駆け上がる二人の、彼女の位置からはすっかり小さくなった背中を示す。それに対し、妖夢は小さくかぶりを振って、
「お前だけが、最初から殺気を私にぶつけてきていた。
 少しでも私が意識をそらしたなら、即座にその牙と爪で襲い掛かるつもりでいただろう」
「御名答」
 胸の前で手を一度握り、また広げる。手品のように現れたナイフがそこには握られている。
「あの二人、ああ見えて強い力を持っているもの。二人で行かせれば、この先に待つことも早く終わるでしょう」
「なら、3人同時に襲い掛かってくればよかったんじゃないか?」
「そういうのはスタイルじゃないのよ。私も、霊夢も、営繕係も」
 それに、と笑いながら、咲夜は半身に構える。妖夢の死角となった左手にも、幾本ものナイフを握る。
「私がやれば、一番早く終わるから」
「そうね。早く終わらせないと」
「それがあんたの最後の言葉か。締まらないわね」
 次の瞬間、咲夜は左手を一閃させる。放られたナイフは正確に妖夢を狙っている。
 回避運動に入ろうと妖夢がわずかに腰を落とした瞬間、咲夜は己の『力』を使う――『時間を止める』。
 自分を見据えたまま静止する妖夢に向けて、さらに咲夜の右手、次いで左手が振るわれる。放たれたナイフは空中で動きを止め、主よりの再始動の合図を待つ。
 二人の狭間に咲いた刃の花は、上下左右どこへ逃げても死角は無い。完全で瀟洒な『詰み』。
「これで終わり。あっけない」
 停止していた時間が動き出す。無数のナイフが、咲夜の手から離れた時の速度のままで、一斉に妖夢に降り注ぐ。
 妖夢が刮目したのを咲夜は認識する。驚きに目を見開いたのだろうと思った。

 楼観剣が二度、冥界の空気を切り裂いた――比喩などではなく、本当に。
 咲夜は刮目する。驚きに目を見開いたのだ。
 妖夢が切り裂いた空が咲夜の投じたナイフの軌道を変え、不可避であった筈の刃の布陣にほころびが生じたのだ。
 そのほころびに妖夢は己の身を滑り込ませ、後は両手に携えた楼観剣、白楼剣でなお自分に襲いかかるナイフを弾き落とす。
「空気を……いや、『空間を切った』の? 驚いたわね」
「妖怪の鍛えた楼観剣に、切れないものなど少ししかない」
 空間を切られれば、投じられたナイフはそこを通ることは出来ない。繋がりを断絶された路は渡れぬが道理。
 咲夜は小さく舌打ちする。つまりこの少女を仕留めるには、空を切らせる程度の余裕がある距離からのナイフ投擲ではとうてい無理だということだ。
「お前は『少し』の中に入っているか、紅魔の番犬」
 言うと同時に妖夢が駆け出す。静より動へ瞬時に変わる様がまさに居合いを思わせる、鋭く、速く、鋭い踏み込み。半呼吸の間に咲夜を自分の間合いに入れ、間合いに入れると同時に楼観剣の一撃を繰り出す。咲夜は両手に握ったナイフ――投擲用ではなく近接戦用の大振りの短剣を構えて、妖夢の一撃を受け止めた。
 間髪入れずに、白楼剣の刃が迫る。咲夜は両手で楼観剣を弾き返した勢いで後ろに跳んでその一撃から逃れる。妖夢はなお追撃をかけようとして、咲夜の右手が閃き、彼女の投じたナイフに勢いを阻まれてそれ以上の攻撃に及ぶことが出来ない。

 咲夜は距離を取って身構える。武器の上でも練度の上でも接近戦は明らかにこちらの不利だ。
 ナイフを手に握ろうとして、突如飛来した苦無を咄嗟に身をひねってかわす。
 霊体の半身に白楼剣を預けた妖夢は、ベストの裏地に作ったポケットからさらに3本の苦無を取り出し、投じる。少女の太刀筋と同様に速く鋭く迫るそれを咲夜は紙一重の動きで回避する。服にかすった部分が引き裂かれ、白い肌とうっすらとついた赤い筋が冥界の空気に晒される。
 その動きに妖夢は小さく舌打ちをした。苦無をよける為に大きく体勢を動かしたならその隙に一気に踏み込もうと目論んでいたが、ああも無駄のない動きをされてはそうも行かない。
「投器術もいけるのね」
 感心するような口調で言葉をかけて、その実咲夜は感心していた。今の腕前にしても充分に一級品だ。もっともこちらは自分のような超一級品には及ばないがと頭の中で付け加えるのももちろん忘れない。
「先代にいろいろ叩き込まれたから」
 右手にまた苦無を握り込み、妖夢は楼観剣を構えて僅かに腰を落とす。相手はまだ剣の間合いの遥か外にいるが、こちらから不用心に踏み込むわけには行かない。だからすり足でじり、とわずか一歩分の距離だけを縮める。
 妖夢は勝負を待たない。待てない。既に白玉楼の主を目指して二人の侵入者が門をくぐっているのだ。主人の御身に万が一のことすら起こさせない為にも、彼女は早く咲夜を打ち倒し、二百由旬の庭園を駆け抜けて狼藉者の前に舞い戻らなければならない。
 自分の有する絶対的なアドバンテージは咲夜も理解している。すぐに終わらせると言った手前時間稼ぎのような構図になるのは格好悪いが、あくまで結果が最優先だと彼女は心得ている。まあ問題は下手に守りに入れば固めた動きごと真っ二つにされかねないってことで、故に彼女も自分が受動的になることを避けている。
 両手にナイフを持ったまま、咲夜はじっと動きを止める。本来なら今の距離は飛び道具の間合いだが、相手がこの距離からの攻撃など全てよけきってしまう程度の技量を持っていることは最初の交錯で確認済み。
 ならばもう一手間かけるしか無いな。そう結論づける。その一手をより確実なものとするため、咲夜は待つ。妖夢が近寄ってくるのをじっと待つ。
 さらににじり寄る。まだ動かない。
 互いが互いの動きに全神経を集中させる。相手の呼吸と自分の呼吸を重ねて睨み合う。
 そして、妖夢の爪先がかすかに動き、ここに至って咲夜が攻勢に転じる。妖夢には一瞬の後、咲夜にはおよそ一秒後、二人の間に再び無数のナイフが現れた。
「一度敗れた手を二度も使うか!」
 叫ぶ妖夢の瞳が鋭い光を帯びる。一瞬でナイフの軌道を全て見切り、楼観剣を振るって空間を断ち切り、そこに至って異変に気付く。
 動くナイフと動かないナイフ。
「だいたい察しがついていると思うけれど、あなたが剣を操るように、私は時間を操ることが出来る」
 咲夜の声が響く。空間の断層が最初に飛来したナイフを阻み、そしてそれが閉じるのを見計らったかのように、動かなかったナイフが動き出す。
 右手から苦無を離して白楼剣を握り、妖夢は猛然と迫り来るナイフを叩き落とす。だがその堅牢なる白刃の垣根をすり抜けて、右肩に1本、左脛に1本、ついに咲夜の牙が妖夢を捕らえた。
「ナイフの時間を少しだけ長く止めさせてもらったわ……流石にあれだけのナイフが届けば、よけきれるものでは無いようね」
 咲夜はさらに追撃のナイフを投じるが、これは攻撃に刹那の隙間があった。その刹那の間に妖夢は体勢を立て直し、両手の剣で全て弾き落とす。
 突き刺さったナイフを妖夢は自分の手で引き抜く。痛みが熱となって神経を焼く。
 かすかに眉を歪めて、しかしそれ以上意に介すことはない。状況はさほどは悪くない。自分は手傷を負ったが、相手にも手札を1枚切らせた。
 咲夜が再度動く。自ら半歩踏み込んで時間を止める。刃の壁が生まれ、雨へと変わって妖夢へ降り注ぐ。
「甘く見ないで」
 ナイフの軌道を見切り、右手につかんでいた、自分の血に濡れたナイフを妖夢は投げつける。それは空中で咲夜の投じたナイフに命中して弾き飛ばし、弾いたナイフと弾かれたナイフがさらに他のナイフに衝突する。
「なっ!」
 咲夜が驚きの声を上げ、同時に妖夢が二度目の見切りを行ない、空を断ち剣を振るって残りのナイフを今度は全て叩き落とす。頭の中でつぶやく。まだ早い。
 再度、咲夜の攻撃。先ほどより一瞬だけためてから妖夢は見切りを行なう。今度のナイフは全てに止まる気配がない。抜け目の無い犬だと妖夢は不敵に笑う。
「はああああ!」
 気合の声と共に剣を振るい、また全てのナイフを弾き落とす。右腕の傷が痛むが、動きを鈍らせるほどのものでもない。
 咲夜がぎりと奥歯を噛み締める。妖夢の動きが一瞬遅かったのは反応が遅れたのではなく、止めたナイフを見切る為にわざと遅らせたのだ。そうしてくると予想して全て同時に撃ち込んだというのに、全てよけられた。
 相手の動きとセンスが予想していたよりもはるかに上方にある。先ほどの攻撃でもう少し深手を負わせていたならと思うが、いかに自分でも過ぎ去った時間を戻すことまでは出来ない。
 咲夜が次の手を考えていたところで、妖夢が先に動く。苦無を取り出し投じる。咲夜はそれをかわし、同時に妖夢が踏み込む。
(だが、遠い!)
 妖夢が己の間合いに咲夜を入れるにはまだ踏み込む必要がある。その前に時を止めてやろうと咲夜が意識を集中させたところで、妖夢が小さくつぶやいた。
「おおよそ見えてきた」
 妖夢がさらに地を蹴り、一瞬遅れて時間が止まる。咲夜は飛び込んできた妖夢を迎撃しようとして目の前から妖夢の姿が消えておりさっきの踏み込みで左に跳び同時に苦無を投げているのだと気付いて横に飛んだ妖夢目掛けてナイフを飛ばして自分は右に跳び退り、時間が動き出す。
 痛めた左足での踏み込みは緩く、次の刹那に健常な右足で行なった踏み込みは稲妻のように速く鋭く、自分目掛けて投じられたナイフを3本は構えた楼観剣で弾いて3本はかいくぐり1本をよけきれず右肩に受け、しかし勢いを減じさせることなく妖夢は一気に咲夜に肉薄する。
 振り下ろした楼観剣を受け流した咲夜のマンゴーシュが衝撃に耐え切れず半ばから砕け、続いて繰り出される白楼剣はわずかに出が遅く、咲夜はバックステップで白楼剣の間合いの外に出て、しかし届かないはずの剣が首を狙って迫っているという事実を察知してとっさに左腕を盾にする。衝撃を覚え次いでそれが痛みに変わる。
 妖夢がなおも攻撃を続けようと楼観剣で刺突の構えを取り、左腕が跳ねるその瞬間に咲夜はもう一度時を止めて今度こそ距離を離す。標的を失った刀が空を貫き、妖夢は視線を巡らせてすぐに咲夜の姿を捕捉する。
「せっかく奥の手を出したのに、仕留め損なったわね」
 左腕の痛みを逃がそうとするかのように咲夜はふうーと細く長い息を吐き、それから皮肉っぽい微笑を浮かべた。
 楼観剣を構え直す妖夢の右腕は、流れ出る血で赤く染まりだらりと垂れ下がっている。
 停止した時間の中で静止した妖夢の姿を見た時、届かないはずの剣が自分の首を狙い腕を斬り裂いたトリックに合点がいった。白楼剣は妖夢の右手ではなく、霊体が握っていたのだ。だから一瞬出が遅く、そして間合いが長かった。
「終わりだ、犬。自慢の牙もその腕ではもう満足に投げられまい? お前の負けだ」
 妖夢が笑う。鍛えられた剣がぎらりと放つ鈍い光のような笑み。
 自分も右腕は使えないが、白楼剣は半身で握ればいい。速度と鋭さが犠牲になるが、対価は充分に受け取った。奪った。
 返答の代わりに細く長いため息をついて、
「見切っているの?」
 右手にナイフを握り、十六夜咲夜は問い掛ける。その左腕は妖夢の右腕同様、己の血で朱に染まっている。
 質問は主語が無かったが、魂魄妖夢には何を問われているか察している。白を切る考えも浮かんだがすぐに放り捨てる。この期に及んで無言は肯定と同義だ。
「伝家の宝刀とはいえ抜きすぎたな。だいたい見切らせてもらった……お前が一度時間を止めてからもう一度止められるようになるまでおよそ二呼吸半。止められる時間は長くて一呼吸。そんなものだろう」
「あんたの一呼吸が0.9秒なら正解だわ」
「それは知らないわね。そういう風に計ってみたことはないから」
「なら、70点ってところかしら」
 ふっと笑い、それから咲夜は改めて目の前の相手に感心する。
 かつて自分が敗北を喫した霧雨魔理沙やレミリア=スカーレットは、時を止めようがお構いなしの猛攻撃で自分を打ち倒した。それを為し得なかった他の者たちは自分の能力になすすべも無く敗北を認めるか、その時間すら与えられず冥土へ落ちた。
 そのどちらでもなく、このように自分の力を「見切られる」のは初めてだった。
 自分の普段の動作と、時を止めた前後の状況で、この少女は私の能力がどれだけ持続するかを突き止め、さらには一度使ってから次に使用出来るまでの所要時間まで割り出したのだ。
 唇を動かし、音にならない声を出す。面白いわ。
「気付いていることに気付かれているなら、あれこれと考える必要は無いわね」
 楼観剣の切っ先を地に触れるぎりぎりのところまで降ろし、腰をわずかに沈める。目の前の相手の瞳はまだ戦意を燃え上がらせて爛々と輝いている。まだ戦いは終わっていない。
 妖夢の狙いはふたつ。咲夜に一度時を止めさせ、それから二呼吸半の間に致命傷を見舞うのがひとつ。時を止められる前に剣の間合いに入れ、止められる前に斬り捨てるのがひとつ。
 小さく息を吐いて、吸い、次の瞬間妖夢は咲夜を目掛けて地を蹴った。
 咲夜の右手がひらめき、妖夢に向けてナイフを投じる。さらにそこで時間を止めて右手にナイフを取って投げさらに新たなナイフを握り足に力を込めて地面を蹴りそしてまた時が動き出す。
 妖夢の身体が前に跳ねる。今度はフェイントでなく、直線で一気に間合いを詰めた。咲夜の投じたナイフの数を確認し、その少なさを見て守りよりも速度を重視する。空間を斬りには行かず、楼観剣で直接弾き落とし、残りの刃は右腕を盾にして受け止める。
 刃の壁を突き抜けた先、間近に咲夜の顔。彼女もまた前に出ていた。後ろに逃げれば先ほどの二の舞になると分かっていたから。
 二人の距離が一気に縮み、それは妖夢の構える長刀の間合いの遥か内、咲夜が右手に握った格闘用のナイフの間合い。
「もらった!!」
 がら空きの妖夢の胸元目掛けて咲夜は右手を突き出す。
 だが、妖夢の半身が握る白楼剣が刃と身体の間に入り込み、軌道をずらす。咲夜の一撃は妖夢の脇腹を浅く切り裂いたにとどまった。
「その攻撃は読んでいた。投げナイフで私を仕留められない以上、お前は私に直接刃を突き立てるしか無い……詰めが甘かったわね」
 勝利を確信した妖夢が笑みを浮かべる。その顔を見て、咲夜は

「いいや。詰めが甘いのはあんたの方」
 悪魔の犬が悪魔の様に笑う。
 次の瞬間、咲夜の左手から3本のナイフが飛び出し、妖夢の身体に深々と突き刺さった。

 まったく予想していなかった攻撃を受け、妖夢は驚愕の表情を浮かべ、ぐらりと体勢を崩す。
「左手、動いたのか?」
「まさか。ナイフを3本ほど手に持つのがやっとよ。
 右手で投げて時を止めたナイフを持つのが」
 なるほどな、と妖夢は思った。それならば動かない左手でもナイフを「投げる」ことが出来る。
 そして彼女は自嘲する。冷静に考えれば気付くことが出来たかもしれなかったのに、目の前の勝機に視野が狭まっていた。これは紛れも無く完全に、自分の敗北だ。
「私の負けだ……十六夜、咲夜」
 視界が歪む。膝が力を失う。咲夜の投げたナイフは急所を正確に射抜いている。
 そして魂魄妖夢はその場に倒れた。
 最後まで楼観剣を手から落とさなかったのは、せめてもの意地だ。

「生きてる?」
「生きてるわ」
 わずかに下草の生える乾いた地面に仰向けに寝転んだ姿勢のまま、傍らに座って自分の顔を覗き込む咲夜に妖夢は普段とさほど変わらない声色で簡潔に返答した。
「呆れた。しぶといのね」
 そう言って微笑む咲夜の左腕は応急処置が施してあって、出血も既に止まっていた。どうやら自分が一度意識を失ってからそれなりの時間は経っているらしい。
「ついでにあんたも止血くらいはしておいたから」
 言われて初めて気付く。確かに身体には布を巻かれた圧迫感があり、ベストは脱がされブラウスは襟をゆるめられていて、赤黒く汚れた胸の上に解かれた蝶ネクタイが鎮座していた。
「……ありがとう」
「ナイフを返してもらうついでよ」
 それから咲夜は、白玉楼へと通ずる石段の彼方へ目を向けた。妖夢も横になったままそちらを仰ぐ。楼の上空に渦巻く妖気がはっきりと見て取れた。
「あの二人か、それともどちらか一人か……もうあそこまで辿り着いているのね」
「でしょうね」
「あんた、もう間に合わないわよ」
「でしょうね」
 はあ、と小さなため息が咲夜の耳に届く。多分、あそこにいる主人のことを思ってのため息だろう。気持ちはよく分かった。自分も身に覚えがあるので。
「西行妖は満開にはならないわ。多分あと一歩のところで霊夢辺りが何とかしてしまってそれでおしまい。全部おしまい」
「でも、幽々子様は」
「うちのお嬢様すら殴り倒して言うこと聞かせるような連中よ」
 妖夢は押し黙る。己の主人がかの『永遠に紅き幼い月』より劣るとは思わないが、絶対に負けないとは言い切れない。
「全部終わって、そうしたらまた普段と変わらない普段がやってくるわ。私が今も毎晩、お嬢様がお目覚めになってからお休みになるまでお世話をしているように」
「……そう、か」
 その時になってようやっと、妖夢の身体からふっと力が抜けた。ように咲夜にはうかがえた。
 かつての自分と似たような立場にいる親近感から、もうちょっと励ましの言葉をかけてやろうと考えたが、あんまり自分らしくないと思ったのでやめた。
 だから、代わりに、自分に似合いの完全で瀟洒な微笑を浮かべて、
「傷が完治したらあんたのご主人ともども紅魔館を訪ねてらっしゃい。おいしい紅茶をご馳走してあげるわよ、魂魄妖夢」
「……その時は、人間向けの紅茶を希望するわ」
 山頂の方から薄紅色の小さな花びらがひらりひらりと飛んできて、風に小さく揺れる二人の銀色の髪に舞い落ちる。

 白玉楼の桜が散るのも、もう、まもなく。

 後書き。

 妖夢と咲夜さんの弾幕バトルではなく、で刃と刃のぶつかり合いを書きたくなって書いちゃいました。
 非弾幕は邪道ですかね。苦笑。

 タイトルはもちろん「夢幻泡影」のもじり。

 プロット段階では相討ちの結末だったんですが、色々考えて咲夜さんを勝たせました。
 俺にとって十六夜咲夜は完成してるキャラで、魂魄妖夢は未完成のキャラなんです。

 そのような感じで。
 ここまで読んで頂いたことに、心から感謝いたします。
 ありがとうございました。

戻る

inserted by FC2 system