「う〜ん……」
 樹に寄りかかって空を仰ぎながら、ルナサ=プリズムリバーは小さなうなり声を上げた。
 何度考え直してみても、何故自分がこうしているのかが分からない。
「う〜ん……」
 何度考えても分からないのに、それでも何故こうなったのかを考えて、もう一度うなる。
 その頭の上に、小さな桜の花びらがまた一枚、ひらりと舞い落ちた。



 - 明日の花見の場所取りに -



「お花見がしたい!」
 発端はルナサの妹の上の方、メルラン=プリズムリバーの一言だった。
 彼女の訴えを聞いた時、最初ルナサはその意味が全く分からなかったし、もう一人の妹、リリカもやはり姉の意図を分かりかねていたようで、目をぱちくりとさせていた。
 何故なら彼女たちは、桜ほころぶ今の季節ともなれば、毎日のように何処かへ招かれては、夜通し行われる宴会に参加しているのだから。
 ところが、当のメルランが言うには。
「私たちはいつも楽隊として呼ばれてるんじゃない。だからお花を見たり、お酒を飲んだりするだけじゃなくて会がお開きになるまできちんと演奏もしてなくちゃいけないでしょ?
 そうじゃなくて、たまにはちゃんとしたお花見がしたいの〜」
 なるほど一理ある。一理あるんだがと姉が考え込むと、頭の回転の速い末妹がすかさず同調した。
「いいんじゃない? たまには仕事抜きにしてお花見楽しもうよ」
 メルランが自分の意見に賛成してくれた妹を「リリカ大好きー!」ときゅーっと抱き締めて、それから二人してルナサの腕にぶら下がって「おはなみーおはなみー」コールを繰り広げるものだから、これにはルナサも降参するより他にはなかった。


「……で、なんでウチに」
 庭仕事にやってきた魂魄妖夢は、最初桜の木の下で惚けた顔のルナサを見つけた時、いったい何事かと思った。
 そしてルナサに訳を聞いてみれば、以上のような次第だったわけである。
「私たちの知ってる桜で一番見応えがあるのは、やっぱりここの庭だし」
 ルナサが首を巡らし、妖夢も彼女の視線を追う。
 その言葉通り、白玉楼の桜並木は確かに、それはそれは壮麗なものだった。
 思い思いに天を衝く枝は、その姿を隠すほどたくさんの花に覆われ、それが幾重にも連なっている。その梢から舞い散る桜の花びらは、まるで世界全てを覆い尽くしてしまいそうな錯覚すら感じさせた。
「……うん。やっぱりここが一番」
 ルナサが妖夢にうなずいて見せた。妖夢は「そ、そう?」と言って視線を逸らす。庭を誉めるのは、その庭の管理を勤めている者を誉めることに等しく、まだ未熟な庭師にはその賞賛が少なからず面はゆかった。


「それで、妹さんたちは?」
 西行寺幽々子は小首を傾げてそう訊ねた。魂魄妖夢に「ルナサが庭にいる」と伝えられたので見に来たのだ。面白そうだったから。
「……お花見の準備」
「準備?」
 きょとんとした顔で幽々子は訊き返す。
「お弁当とか、お酒の」
「それは分かるのだけれど……先に用意して、三人で来ればいいのではなくて?」
 幽々子にしてみれば、ルナサ達は常に三人セットでいるものなのだという印象があった。
 だからまあ、今のように(あの騒々しい妹たちが側にいない)一人きりのルナサの姿というのは、新鮮な光景であり、違和感を覚える風景でもある。
「それが……私にはよく分からないのだけど」
 ルナサはそう言って、それからうーんとうなって、はあと息を吐いた。たぶん嘆息?
「私は場所取り係らしい」
「場所取り?」
 きょとんとした顔で幽々子は訊き返す。
 白玉楼だって流石に毎日宴会を開いているわけではない。それに、ただでさえ広い庭なのだ。騒霊が三人くらい集まって花見をするくらい、場所取りなどしなくたって良い物なのに。
「……それも花見の趣らしい」
 惚けた顔でそう言うルナサの頭の上に、また花びらがひとひら落ちる。
 そういうものなのかと幽々子はひとまず納得して、なら今度妖夢にも花見の場所取りをさせてみようとか考えた。


(ふう……)
 一人になったルナサは、ぼんやりと中空を見つめ続けている。
 その視界の全面で、桜の花びらが絶え間なく宙を舞い、音もなく地面に落ちる。
 音と言えば、たまに吹く風の音と、庭のどこかで妖夢が箒を振るう音と、それくらいである。
 つまり、とても静か。
(……考えてみれば、こんなに落ち着いてぼんやりするのは、久しぶりだなあ……)
 自分の隣にはいつもいつも妹たちがいて、片時も休まずに色々な音を立てている。
 歓声、怒声、悲嘆、弱音、嬌声、憤懣、色々な音、色々な感情。
(私は常にその音に応えて、自分の音を発し続けてきた)
 時々は相手をすることに疲れて、距離を置くこともあった。そうすることで、お互いがお互いを無闇に傷つけないように。
 そうして独りになった時、ルナサは必ずヴァイオリンを弾いていた。
 ヴァイオリンの音色に没頭することで、自分の立場、自分の在り方、自分の音を再認識する為に。
 そうやって、彼女は自分の安定を保っていた。


(自分の安定を保っていた……んだろうなあ)
 妹達の音に、或いは自分の音に、ずっと耳をそばだてていたから。今のような無音の時間を、ただ穏やかに過ぎゆく時間を、いつの間にか無くしていた。
(そういえば、こんな風にゆっくりすることも最近は無かったし……
 確かに、こうして落ち着いて花を見ているなんてことも、ずっと……)
 姉妹だけで桜の花の咲き誇る様を楽しんでいた、遙か過去の記憶。
 まだ、プリズムリバーが四姉妹だった頃……。

(そうか、そうね……)
 四姉妹が四姉妹である時、三姉妹の中心は常にレイラ=プリズムリバーだった。
 その中心を亡くした時、三姉妹がこのまま散り散りになってしまわないようにと、あの頃からずっと頑張ってきた。
 二人の妹たちが不安にならないように、頼れる姉でいようと、ずっと頑張ってきた。
 辛いときもあったけど、妹たちの為と思って頑張ってきた。
 その甲斐あってか、三姉妹は今も三姉妹でいられているけれど。

 ずっと張り続けた弦は、たまには緩めてやらないと弱って切れてしまうもの。
 ……メルランとリリカが、妙に熱心に私を送り出そうとしたのも、「たまには休んでいいよ」ってことなのかな……。

 私も、ちょっとは……あなた達に甘えてもいい?



「幽々子さま……もしかしてルナサは寝ているんでしょうか」
「さあ〜? 分からないわね。目を開けてるのか閉じてるのか、ず〜っと分からなかったし。
 でも、もしかしたら考え事とかしているのかもしれないし、邪魔しちゃダメよ」
「う〜ん、いいんでしょうか……せめて上掛けの一枚くらいでも届けた方が」
「大丈夫よ。もうすっかり暖かくなったことだし。
 それに、ほら見てごらんなさい。ルナサにあんなに桜の花びらが積もっているでしょう」



「あんなに優しい赤と白に包まれて、彼女が温かくない筈がないわ」


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