メルラン=プリズムリバーは、厨房に立つのが好きだ。
 料理をすること自体ももちろん好きなのだが、三姉妹の中でも自分が厨房に立つ時というのは、必ず楽しいことの前のことなのである。
 そう、これから自分が始めることは。
 一人でこっそり楽しんでしまう、明日の花見の前夜祭。



 - 明日の花見のお弁当を -



「お花見がしたい!」
 発端はメルラン=プリズムリバーの一言だった。
 その訴えを聞いた時、最初彼女の姉、ルナサ=プリズムリバーはその意味が全く分からなかったし、もう一人の妹、リリカもやはり姉の意図を分かりかねていたようで、目をぱちくりとさせていた。
 何故なら彼女たちは、桜ほころぶ今の季節ともなれば、毎日のように何処かへ招かれては、夜通し行われる宴会に参加しているのだから。
 ところが、メルランが言うには。
「私たちはいつも楽隊として呼ばれてるんじゃない。だからお花を見たり、お酒を飲んだりするだけじゃなくて会がお開きになるまできちんと演奏もしてなくちゃいけないでしょ?
 そうじゃなくて、たまにはちゃんとしたお花見がしたいの〜」
 なるほど一理ある。一理あるんだがと姉が考え込むと、頭の回転の速い末妹がすかさず同調した。
「いいんじゃない? たまには仕事抜きにしてお花見楽しもうよ」
 メルランが自分の意見に賛成してくれた妹を「リリカ大好きー!」ときゅーっと抱き締めて、それから二人してルナサの腕にぶら下がって「おはなみーおはなみー」コールを繰り広げるものだから、これにはルナサも降参するより他にはなかった。

「行ってらっしゃ〜い」
 屋敷を出て行くルナサの背中を、ぴったり揃った二色のソプラノが見送る。
 リリカの発案で、ルナサはお花見会場として白羽の矢を立てた白玉楼へ、場所取りに行くことになったのだ。
 場所取りの必要性についてルナサは最後まで疑念を持っていたが、「それも花見の趣なのよ」と強弁するリリカに押し切られる形で、わざわざ前日から白玉楼へ向かうこととなったわけである。

「それにしてもさ」
 ルナサの姿が空の果てに見えなくなると、リリカはくるっと、姉のメルランを振り返る。
「どうしていきなり、お花見しようなんて考えたの?」
 同意はしたが、リリカにとってもやはりメルランの発案には疑問だった。特にこの姉は、演奏の合間にも客席を転げ回って、ともすればステージ上にいるよりもやかましく宴会を騒がせているではないか。自分やルナサよりも絶対に、普段の「お花見」を楽しんでいるものだとリリカは思っていたのだが。
「えー、別に〜?」
 メルランは脳天気な笑顔で答える。なるほど、何も考えてなかったらしい。
 思慮深い姉と策略家の妹と合わせ込んで丁度ゼロになるかのように、この次女はあきれるくらい何も考えない。リリカははあ、とため息をひとつ。まあこの姉が考え無しに行動に及ぶことなど、割といつものことだから。

「じゃ、さっき相談した通り、私はお酒の調達してくるから、メル姉はお花見弁当の準備、よろしくね」
「任せて。腕によりをかけて作るわ」
「うん、期待してる」
「いっちご味〜のすっぱげっちぃ〜♪」
「ソレハヤメテ」
 メルランの鼻歌に一抹の不安を覚えながら、リリカも屋敷を出ていった。

「あんま〜えあうあ〜かはっかはっ♪」
 一人残ったメルランは軽い足取りで厨房に向かうと、食材をどんどんとテーブルの上に並べていく。
 とはいえ、今すぐ作り始めるわけではない。何を作るか考える為に、とりあえずあるものを全部出すのである。
 彼女はいつもこうして準備に時間をかけ、しかも使いたいと思った食材は後のことなど考えずに使い切ってしまうので、普段はプリズムリバー家の料理当番からは外されている。メルランに言わせれば「こんなに美味しそうなのに今食べてあげないなんて可哀想」ということなのだが、姉と妹にはいつも呆れられている。
 だが、今日のような晴れの舞台ならば、その性癖はまさにうってつけ。プリズムリバー家の宴会料理は、常にメルランに一任されているのである。
「おっさかっなさん♪ おっにくさん♪ おやさいさんにくだものさん♪」
 たちまちの内に、プリズムリバー邸に現在備蓄された食材が萃められ、山と積まれていく。
 粗方の保存庫を調べ尽くすと、メルランは居間から椅子を一脚持ってくる。この食材たちにどんな魔法をかけるかを、彼らを眺めながらゆっくりじっくりまったりたっぷりと考えるのだ。
「ええと、後は……」
 厨房の隅にひっかけられた、自分のエプロンを取りに行く。普段はほとんど使われることのないメルランの白いエプロンは、黒いエプロンと赤いエプロンの奥。
「今日もよろしく、エプロンさん♪」
 陽気に歌いながら、メルランはそれをひょいと手に取って。
「あ――」
 メルランの白いエプロンのさらに奥にかけられていた、緑色のエプロン。
 至る所に、どんなに洗濯をしても落ちきらないほどに汚れのしみ込んだ、緑色のエプロン。
 そのエプロンの持ち主と過ごした時間、重ねた思い出が、メルランの脳裏にさあっと甦る。

『姉さん、手伝ってくれるの? ありがとう』
『あははは。姉さんじょうずじょうず!』
『え……使っちゃったの? 今夜のシチューに入れるつもりだったんだけど……』
『味見? ……うん、おいしいよ』
『すっごい豪華! いったいどうしたの…………え、私の、ため?』
『駄目だってば。そんなに使ったら、明日のごはん作れなくなるよ!』
『今日は何を作ろうかしら。姉さんは何が食べたい?』
『姉さんは本当に、いつも楽しそうに料理をするわねぇ』
『ふふふ。時々しか厨房に立たないのに、どうしてそんなに上手なのかしら』
『おいしいわ……ありがとう、姉さん』

 少女は、自分の白いエプロンを静かに身にまとうと、緑色のエプロンを手にとって、ぎゅっと抱き締めた。
 静かに閉じたまぶたの裏側には、自分の作った料理で笑い、怒り、泣き、そして喜んでくれた、今はもういない肉親の姿が、今もくっきりと浮かんでいる。
「そうね……一緒に考えよう、レイラ」
 遠い過去、ずっとそうしていたように。
 二人がとても大切に思う姉妹に、心から喜んでもらう為に。

「ただいまー」
 プリズムリバー邸の玄関を開いて、両手に酒瓶を抱えたリリカが入ってくる。
 返事はない。しんとしている。普段は常に何がしかの音が響いているこの屋敷には珍しいことだ。
 けれど、この時のリリカはあまり気にしなかった。今はそもそもルナサがいないのだし。
 そして普段から騒々しいもう一人の姉の姿を探して、厨房を覗いてみれば。

「おっさかっなさん……♪
 おっにくさん……♪
 おやさいさんにくだものさん……♪」

 子守歌のように密やかな歌を口ずさんでいるメルラン。
 愛おしそうに緑色のエプロンを抱き締めて。
 だからリリカも、酒瓶を持ったまま無言で厨房を離れる。



 それは姉妹にとってはいつものことなのだ。
 普段はルナサとリリカで彼女を厨房から追い出してしまっているんだから、こういう時くらいは心ゆくまで満喫させてあげるのだ。

 二人でこっそり楽しんでしまう、明日の花見の前夜祭を。

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