瞳を開くと、まず板張りの天井が見えた。
 自分が横になっていることに気付いて、藤原妹紅は身体を起こそうとする。
 途端、全身に走る痛み。
「うっ……」

 もれた呻き声で、上白沢慧音は妹紅が目を覚ましたことに気付いた。
「目が覚めたのか……まだ寝ていた方がいいぞ」
 浮き上がった肩に手を置いて、優しい声で諭す。声は優しいが、肩に置かれた手はしっかりと添えられていて、妹紅がそれ以上身を起こすことを許さない。
 中途半端な姿勢のままでいるのも疲れるし痛いだけなので、妹紅は素直に横になることにした。

「それにしても」
 妹紅にかけられている布団を直すと、慧音は再び自分の手元に視線を落とした。
 彼女の両手は今針と糸、それから普段妹紅が着ている服を取っていた。上衣もズボンもあちこちが穴だらけになっていて、それに継ぎを当てているのである。
「今回は随分と酷くやられたものだな。普段のお前らしくない気がするが」
 妹紅がこうして服をボロボロにすることはしょっちゅうなので、慧音は服の傷つき具合だけでも妹紅がどれほどの弾幕を受けたかを察知するくらいになっていた。それでも、これほどボロボロにされることなどついぞなかったことである。

「永琳にね」
 それだけ言って、妹紅は自分の腕で目元を覆う。自分の顔を見られたくないのだろう。
 妹紅と、彼女の仇敵である蓬莱山輝夜の確執は、慧音が妹紅と出会う遙か以前から続いている。そして輝夜には永琳という名の友が居る。普段は妹紅と輝夜の弾幕勝負には手を出してこないが、輝夜が劣勢に立たされた時にだけ、永琳はその力を振るうそうだと、慧音は聞き及んでいる。
 その永琳にやられたということは、輝夜に対しては優勢であったということなんだろう。だが、それ自体は今までにもあったことだし、妹紅も頻度はさほど多くはないがいつものこととして片付けている、筈だ。

 だが、今日の妹紅の落ち込みぶりに、慧音は何か不審なものを感じた。
「妹紅、聞いてもいいか?」
 話したくないのなら別に構わない。そんな音が隠された慧音の声。
 反応が無く、しばらく押し黙ったままでいたので、慧音は拒否されたと思った。
 針仕事に戻ろうとしたところで、彼女の言葉は不意に始まった。


「今回は……とても調子が良かったんだ。
 輝夜のスペルカードもあっさり破って、永琳ともいい勝負になってた。
 今日こそは二人ともやっつけられるって、そう思ったんだ……その時だった」




『姫をやらせるわけにはいかないし、私もやられるわけにはいかない。
 悪いけれど……本気でやらせてもらうわよ』




「それまでがまるで遊びだったと思うような、酷い弾幕だった……。
 私はあっという間に撃ち落とされて……慧音に見つけられるまで、ずっと意識を失っていたのかな」
 ハハッという自嘲めいた笑い声。だが、妹紅の瞳は腕の奥に隠されて、本当はどんな顔をしているのか慧音には見えない。

「ずるいよね……輝夜は。
 きっとあいつは、あの頃からずっとずっと、そうやって守ってもらえてきたんだ。
 そうやって、自分は……安寧に暮らしていたんだ……
 ずるい、ずるいよ……どうして、輝夜ばっかり……」

 妹紅の声に震えが混じる。
 慧音は針を動かしていた手を止めると、妹紅の頭に、優しく手を添えた。


 彼女の髪に触れると、慧音の脳裏には、今日でない時に彼女と語らった記憶が甦る。
『慧音の髪は綺麗だよね。きらきら光る銀髪にすっと青が入っていてさ』
『そ、そうか……? いや、そう言う妹紅の髪だって綺麗だぞ』
『ありがと。でもね……私は好きじゃないんだ、自分の髪』
 寂しそうに笑う少女の横顔。
『本当は、墨を流したみたいに黒くて綺麗な髪だったんだよ。
 千切れた腕も吹き飛んだ脚も元通りにしてくれるのに、蓬莱の薬もこれだけは治してくれないのよね……』


 時折、こうして目頭を押さえる妹紅の髪に触れると、慧音はいたたまれない気持ちに襲われる。
 全ての髪が老婆のように真っ白になるほどの苛烈な経験を、少女は送ってきたのだ。
 たった一人で。

 ああ、どうして、私はもっと早くに、彼女と出会うことが出来なかったのだろう。
 輝夜の側に常に在ったという永琳のように、私がずっと彼女の側にいられたのならば。
 この少女を蝕んでいた呪いも、無かったことに出来ていたかもしれないのに。
 それは最早、慧音の身に流れる白沢の力をもってすら覆すことの出来ない、遙かな遙かな過去。

 慧音は妹紅の頭を優しく撫でてやる。
 ならば。今はせめて。
 今は貴方も一人ではないということを、この少女に伝えてやろうと。


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