「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん、よく寝たっ!」
 伊吹萃香はその短躯を天井に向けてぐ〜っと伸ばした。寝ている間に身体にたまった澱がほぐれていく。
 それから首と肩をぐるぐる回し、後は目覚めのかけつけ三杯。
「くっはぁ〜〜。今日もいい朝だね!」
「何言ってんの。もう昼よ」
 不意に後ろからかかる声。あきれ顔の博麗霊夢がそこに立っていた。
「おお! なんで霊夢が私のねぐらにいるわけ!?」
「何寝ぼけてんのよ。昨日はうちで酒盛りして、あんたそのまま寝入っちゃったんでしょ」
 霊夢の深いため息。
 萃香はぐるりと周囲を見渡す。その部屋は確かに見覚えがあるような無いような。
「おお! なんで私は博麗神社にいるわけ!?」
「今言ったばかりでしょ……さっさと顔でも洗ってきたら?」
 心底疲れた様子で萃香を見る。萃香はそうするーと外に出ようとして、ふと霊夢の様子が引っかかった。
「霊夢、なんか疲れてない?」
「そりゃね。今さっきちょっと弾幕ってたばかりだから」
 言われてみれば、今彼女が身にまとっている巫女装束(モドキ)も、薄汚れたりところどころ破けたりしてる。
 この様子だと今日は負けたのだな、と萃香は霊夢に見えないようにニヤニヤ笑って、それから顔を洗おうと外に出た。

 空を仰ぐと、言われた通り太陽はほぼ真上に位置してる。確かによく寝たものだ。久しぶりに畳の上で寝たからかもしれない。
 瓢箪の栓を抜いて、萃香は頭からそれをざぶざぶかける。それから顔をわしゃわしゃとこすって、
「ふい〜、スッキリ」
「……アンタ、いっつもそんな風に顔洗ってるわけ?」
 不意に後ろからかかる声。あきれ顔のアリス=マーガトロイドがそこに立っていた。
「おお! なんでアリスが博麗神社にいるわけ!?」
「別に……特に理由は無いわよ」
 アリスはついとそっぽを向くと、縁側に腰を下ろす。
 少し機嫌が悪そうだということを雰囲気で感じ取りながら、萃香はつとめて朗らかに話しかけた。
「そういえば、最近会ってなかったね。昨日の宴会にも来なかったし」
 ぴくりと眉が動く。
「……最近ちょっとこもってたから」
 なんとなく目つきが険しくなった気がする。ヤブヘビだったか、と萃香は肩をすくめた。この話題は速やかに黙殺。
 次の話題を探すために、萃香はアリスの格好をじろじろ見る。そして、すぐにその痕跡に気付いた。
「霊夢と弾幕ってた?」
「……ああ、うん、そう。霊夢に聞いたの?」
 うん、とうなずきながら、萃香は小首を傾げた。アリスは何だか不機嫌そうだ。先ほど見た霊夢よりは傷も汚れも少ないし、彼女が負けたというわけでは無いんだろうが、勝ったことを喜んでいるという風にはとても見えない。
「何かあったの?」
「何でもない」
 いや、どう見ても何もないようには見えないって、と萃香は心の中でツッコんだ。
 帰らずに縁側に腰を下ろしているということは、たぶん身支度を整える霊夢を待っているんだろう。
 霊夢に聞いた方が早いだろうと思って、萃香は再び家の中へと入ることにする。
 何せあーいうアリスは閉じた二枚貝みたいに、何も喋ろうとしない。

 べちっ。
「おおっ!?」
 霧に姿を変えていた萃香は、いきなり博麗神社謹製のお札を受けて奇声を上げた。勢いで疎から密に戻り、叩き落とされた蛾のようにその場に墜落する。
「デバガメもいい加減にしときなさいよ」
「どこにいるか分からなかったから疎になって探してただけなのに」
 まさに着替え中だった博麗霊夢は、萃香が墜落した時にぶつけた鼻をさする間にサラシ姿からいつもの(似非)巫女装束姿に着替え終わる。
 結局自分の視線など気にしないなら何故撃ち落とすのだと萃香はジト目で訴えるが、そこは楽園の素敵な巫女。その程度の重圧など完全無視してリボンを整えていた。
「外でアリスが待ってるけど」
「うん」
「何かあったの?」
「う〜ん」
 首を傾げる霊夢の態度は、どうもはっきりとしない。霊夢自身、腑に落ちないことがあるようだ。何か突拍子もない理由で絡まれていたんだろうか。
「もしかして、弾幕で負けたらアリスとデートする約束でも迫られた?」
「なんでそうなるのよ!」
 萃香の勝手な推論には強めの声で否定しながら、霊夢は台所に向かう。ちゃっちゃとお茶の準備をして、
「やっぱりデートじゃん。お茶する約束」
「いい加減黙らないと封魔陣」

 縁側に出た霊夢はアリスの隣に正座すると、急須からお茶を注いで、
「はい、アリス」
「うん」
 湯呑みを受け取ったアリスは、博麗神社のちっぽけな境内を眺めながら、そっとお茶をすする。
 霊夢も彼女と同じように、その景色を見ながらお茶をすする。
 日本人形と舶来人形。並ぶ二人を見て、萃香はふとそんなことを考えた。
「……それで、気は済んだ?」
「割と済んでない」
 アリスの言葉はかなり刺々しい。それを聞いた霊夢もすーっと目を細めて剣呑な顔を作る。一触即発、今にも再戦が始まろうというような雰囲気だ。
 先に切り出したのは霊夢だった。
「あのさ。何が理由で不機嫌になったのか知らないけど、私に当たるのやめてくれない?」
 アリスは横目でじろりと霊夢を見る。
「あんた以外の誰に当たれってのよ。自分が原因の癖に」
「だからそれが分からないのよ。顔合わせてちょっと挨拶しただけで、いきなり弾幕だなんて。しかもむっちゃくちゃ本気で撃ってきてるし!」
 ふてくされた霊夢の言葉が、アリスの温度を一気に急上昇させた。
「本気? ハァ? あんたすっかり頭が春ね。私は本気なんか出してないわよ。自分の修行不足を棚に上げないで頂戴」
 そして少女が燃え上がらせた炎が、霊夢にも引火する。
「失礼ね! 私は修行不足じゃないの! 修行なんか必要ないの! さっきはいきなり不意打ちくらってちょっと狼狽えちゃっただけよ! ちょっっっっっっとだけね!」
 親指と人差し指の先をぎゅうううううっと押しつけて「ちょっと」を示す霊夢。
 あらまあ一気にヒートアップして、っていうか話がズレてるよ……と萃香は苦笑した。というかこのままでは肝心のことを聞く前に第二ラウンドに突入してしまいそうなので、彼女は匍匐前進で紛争勃発地帯へ接近を試みる。
「へえー! そんなちょっと狼狽えただけで犬みたいにキャンキャン鳴いて不様に逃げ回ってたわけ? そりゃ大した修行だわ。博麗の巫女ってのは泣き喚いて逃げ回るのがお務めなの?」
「誰が犬よ! 私は咲夜みたいにキャンキャン鳴いて逃げ回ったりなんかしてないでしょ! あんたこそ目玉が曇ってるんじゃないの? 自慢の人形のガラス玉と入れ替えてみれば!?」
「で、なんでアリスは怒ってるの?」
「だって霊夢ったら私の顔見て『久しぶり』とか言ったのよ! たった七日会わないくらいでそんな!」




 静止。




 萃香は周囲を見回す。目当ての姿は、ない。
 ということは、先ほど巫女が不穏当な発言をしたことを理由に、十六夜咲夜が二人の時間を止めてしまった、というわけではないらしい。

「霊夢のバカァーーーーッ!!」
 泥酔した時の萃香よりも顔を赤くして、アリスは犬ではなく兎の様で、瞬く間に博麗神社から飛び去った。
 莫迦と言われて言い返す相手を失った霊夢は、困ったようにぽりぽりと頭を掻いて、振り返る。
「えーと、どうしよ……」
 けれど、振り返った先には萃香の姿は無かった。
「……あ〜、え〜、私が悪い……の?」
 相談する相手も無くした紅白の巫女は、困惑しながらひとしきり自分で考えることにした。
「え〜? だってさ……アリスの場合、七日も会わなかったんだから、久しぶりでしょ?」


 その悩める霊夢を、伊吹萃香は遠巻きに、まるで面白い見せ物でも見たような顔で見ながら、がぶがぶと酒を飲んでいた。
「お前は自分を身近な者と見てほしかった。だから遠来の者に対するような言葉を望まなかったんだ。
 お前は相手を身近な者と見ていた。だからわずかの日を隔てただけで、相手を遠く感じてしまったんだ」
 からからと笑う少女の表情は、互いを親しく思う故にすれ違った二人の様子を、心底楽しんでいた。
「まったくもって二人とも、い〜い酒の肴だよ」



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