○月×日
何から書きいたものかとしばらく考えたが、明朗簡潔に書くことにする。
現在、伊吹萃香が私の家に泊まり込もうとしている。
帰ってきたら、私のベッドで大の字になって寝ていた。
ほのかに酒の匂いがする。本当に酔い潰れているわけでは無いのだろうが、気持ちいい気分で寝ていたことだろう。
私は無言で脚を振り上げると、無防備極まる腹に勢いよく踵を落とした。
さすがは鬼だ、感心するほど大きな声を上げていた。
この記録を書いてる今でも、まだ耳がキンキンする。
- 君のいる夜 -
「ウエェ……何するかな〜いきなり」
「あんたこそいきなり何やってるのよ」
アリス=マーガトロイドは両耳を手で押さえながら冷ややかな目で萃香を見下ろした。
こちらは腹を押さえて丸くなっていた萃香は、彼女に訊ねられると途端に陽気な笑顔になって、
「さっきまで魔理沙のトコで酒盛りしてた」
「魔理沙のところ? ……お盛んねえ。昨日は博麗神社にいたらしいじゃない」
「へっへっへ、そうッスよ。明日はどこにしようかな〜。紅魔館なんかいいかも」
「ともかく、だったら今夜は魔理沙のベッドで寝てればよかったでしょ。なんで私の家に来てるのよ」
詰問しながらもアリスは自戒する。相手が鬼でよかった。普通の相手だったら宴会帰りにあれだけの衝撃を腹部に受けたら……とにかくベッドが無事でよかった。
「いや〜それがさあ、いい気になってつい『萃める能力』を使っちゃったもんだから」
「だから?」
「あの家キノコで埋まっちゃってさ」
「それは傑作ね。明日朝一番で見に行こうかしら。それじゃ私はもう寝るからそこどいて」
「ええ〜。せっかくベッドがあると思ってここに来たのに〜」
拗ねた素振りで頬を膨らませる。
初めて会った時からしてそうだったが、まったく表情がコロコロ変わる少女だとアリスは思った。というか、幻想郷には表情がよく変わる者かあんまり変わらない者の二種類しかいない気がする。中間が無い。
そして後者である彼女は先ほどから冷静な表情を崩さずに、
「とにかく、そこをどきなさい」
「ええ〜。野宿はやだよ〜、ベッドで寝たいよ〜」
ベッドの上で手足をばたばたさせる萃香を見下ろして、だだっ子そのものだとアリスは嘆息する。もう一度踵の一撃を食らわせようか。いや相手は鬼だ、その程度で引き下がる相手じゃない。とにかくもう少し説得を試みることにする。
「そこは私のベッド、私が寝るための場所よ」
「でもアリスが一人で寝るには大きいじゃない?」
「うん。たまに蓬莱たちと寝たりするから」
事実であり秘密ではないのでアリスは平然と言った。大事な人形なのだから一緒に寝たりするのも当たり前のことではないか。ほら西行寺屋敷のお嬢さんも庭師と一緒に寝るとか寝ないとか?
「じゃあ私が一緒に寝てもいいんだね?」
「良くないわよ。あんたじゃデカすぎるでしょ。人形くらい小さくなれるってなら別だけ」
ど、と言おうとしてアリスの唇が凍り付く。同時に萃香がにまぁ〜っと笑う。
瞬く間に萃香の姿が霧に包まれ、晴れた後には人形サイズの萃香がちょこんと座って、得意そうな顔でアリスを見上げていた。
「これならいいね?」
「…………定員オーバー」
流石に十人は多すぎる。
「大丈夫大丈夫。うまく隙間に入るから」
「いっそスキマに放り込みたいわ……」
こめかみに指を当ててもう一度ため息。それからアリスは身を翻して、机に向かった。
「日記書いたら寝るから……安眠の邪魔したら承知しないわよ」
背後でちび萃香たちが勝利の快哉を上げる。
「まったく、しょうがなくだからね。しょうがなく……」
口の中でぶつぶつ呟くアリスだったが、その口元はほのかに弛んでいた。
つまるところ、ちび萃香が可愛いと思ってしまったのだ。
「んー……」
実際横になってみると、やっぱりちょっと窮屈だった。
何せ十人の萃香が、彼女を取り囲むようにべったりくっついているのだから。
「……ねえ。もうちょっと離れられない?」
「離れるとはみ出るー」
そう言う目の前の萃香は、実に嬉しそうな顔をしていた。きっと他の九人も同じような顔をしているのだろう。
「……温かいねえ。こんな温かい寝床で寝るのは久しぶりだよ」
布団に顔をうずめ、心底幸せそうにはにかむ。ただのベッドひとつでそんなに良い気分になれるものかとアリスは嘆息して、それから彼女が普段使っている寝床にそこはかとなく興味を抱く。
「あんた、普段どんなとこで寝てるの?」
「草むらとか洞穴とか」
「……なるほど」
普段はそんな場所でしか寝てないというのなら、目の前の少女のはしゃぎようにも納得がいく。
と、角でアリスの顔をつつかないように気を付けながら、萃香(たち)がもそもそと身を寄せてきた。
「ちょっと、くっつきすぎじゃない?」
「こうしないとベッドから落ちるんだよ。我慢して〜」
人懐っこい笑顔でそう言われると、我慢できないと言う気にもなれない。
許してやると言ったのは自分なのだし、多少は大目に見てやろうと、アリスはうんとひとつうなずく。
まあ、それに。
「温かいよ、アリス」
「そう?」
悪い気はしなかった。
アリスも萃香に腕を回し、包むように抱いてやる。萃香はうにゅーと可愛い声を上げて、さらに密着した肌に頬をすり寄せてくる。
「ああ、アリスは本当に温かいねえ」
そう言って目を細める少女を見て、どうして彼女が、まあこれほど嬉しそうにしているか、アリスはなんとなく合点がいった。
あの宴会騒ぎで皆に見つかるまで、彼女は長い間孤独だったのだ。
長い間、ずっと独りだったのだ。
誰かの温度を感じることも、ずっとずっと無かったのだ。
「あのね。さっき言ってなかったけど」
「なに?」
「ここに来た理由」
人懐っこさは人恋しさの裏返し。
馴れ馴れしく寄りかかってくるのは、触れる肌の温もりが恋しくて。
人の家に無遠慮に入ってくるのは、きっと。
自分がそこにいることを、誰かに見つけてほしいから。
「アリスにも会いたかったから」
赤らんだ顔に心底楽しそうな笑みを浮かべて、あんまり真っ直ぐに見つめてくるものだから。
つっけんどんに「あ、そう」とだけ答えて、わずかに朱の差した頬をそっぽに向けることしか出来なかった。
ふふ、と小さく喉の鳴る音が、そんなアリスの耳に届く。
「おやすみ、アリス」
「おやすみなさい、萃香」
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