西行寺幽々子は庭先に出る。
 彼女が二百由旬と誇る広大な庭を一息で駆け抜けて来た風が、ついでとばかりにその主人の髪を撫で上げ、自らが運んできた桜の花びらの化粧を残して去っていく。
 風が過ぎると、後に残るのは心地よい静寂。
 春爛漫の白玉楼は今日も平和だ。

 西行寺幽々子は庭を散歩する。
 彼女のお気に入りの庭を彩る草木は今日も丹念な刈り込みがなされていて、主人の機嫌を微塵も損ねない。
 であるからこそ、彼女もまたその庭を気に入っているし、きちんと仕事をする有能な庭師も無論のこと気に入っている。

 我も我もと咲き誇る白玉楼の桜たちが淡雪のように散らしていく花びらに覆われた小路を、西行寺幽々子はしずしずと歩く。
 やがてその足が止まる。いつもの場所で。

 西行寺幽々子はその木を見上げる。
 白玉楼の桜の中でも一際大きく、故に一際目立つその妖怪桜――西行妖は、ただひとり未だ花を咲かせずにいるという点で、また一際目立っていた。
 だが、よくよく見れば枝についたつぼみは徐々にふくらみ、時置かずしていずれほころぶであろう、そう見受けられた。
 そして、その時がもうじきに来るであろうことを、幽々子は期待、というより願望していた。

 西行寺幽々子は仰向けに寝ころぶ。
 そして、じっと咲き待ちの西行妖を見つめる。
 まだ春も訪れたばかりの頃はちらりと見上げて終わりだったが、最近の彼女は日中ほとんどの時間、こうして桜を見上げていた。

 西行寺幽々子は妖怪桜をじっと見つめる。
 もうすぐ、きっともうすぐ、この不咲の桜にも花がつく。
 そして、西行妖の下に眠る者――『富士見の娘』が黄泉返る。
 西行妖に封印されし者。娘というからには年端も行かぬ女子だろう。いったいどのような人物なのだろう。
 妖夢のような凛とした少女だろうか? それとも幽霊楽団の少女らのような騒々しい人物だろうか? ああ、興味は尽きない……。

 そして西行寺幽々子は疑問を憶える。
 いつ頃からか。こうしてこの妖怪桜を見上げながら、夢の中のようにどこかぼんやりした頭で、とりとめのない思索に耽るようになったのは。
 この桜が少しずつ春を帯びてから、私の心も少しずつ少しずつ、かすれて溶けて削ぎ落とされていくような気がする。
 頭のどこかが恐怖を覚えている一方で、別のどこかではそれを快楽に感じている。

 西行寺幽々子は笑みを浮かべて、瞳を閉じる。
 もしかしたら、私もこの妖怪桜に魅入られているのかもしれない。
 胸の内から自然に湧き出た「私も」という言葉に、しかし少女は疑問を抱くこともなく。


 魂魄妖夢はその景色に心底肝を冷やした。
 西行妖の眼前で地に横たわり微動だにしない主人の姿。体に降り積もった桜の花びらは一層儚い印象を与え、まさに少女が二度と覚めぬ眠りについているかと思わせた。
「お、お嬢様っ!」
 青ざめた表情で幽々子に駆け寄りながら、私の知らぬ間に狼藉者がこの白玉楼に立ち入ったのかと考え、それに気付かぬとは何と愚かなと深く恥じた。

 西行寺幽々子は荒々しく肩を揺さぶられ、まどろみの世界から白玉楼に舞い戻る。
「……妖夢?」
 薄く開いた目は焦点を結ばなかったが、はさはさと揺れる銀色の髪と、なにより肩から服越しに伝わる柔らかくもしっかりとした手の感触で、幽々子には眼前の人物を判別出来た。
「お、お嬢様……良かった……」
 はーっと息を吐いて安堵の顔をする妖夢の様に「何が良かったのだろう」と割とどうでもいい疑問を抱きながら、幽々子は自分が寝入っていたことに気付いた。

 西行寺幽々子は空を仰ぐ。
 気が付けばそこには藍が下りほの暗い。
 間もなく一日が終わる。
 夜が来て朝が来れば、また一日、西行妖は開花に近付くだろう。

 西行寺幽々子は考える。
 明日も私は、西行妖を見つめながら茫漠とした1日を送るのだろうか。
 そんな思いもすぐに幽々子の頭からは溶けて無くなり、彼女は「食事にしましょう」と妖夢を促して屋敷へ入る。


 そして彼女の一日は終わる。



後書き

 東方最萌投入時の題名「桜下仰臥」より改題、および加筆と修正。

 この頃の自分の幽々子像はぼんやりとしてどこか儚げな印象だったようです。
 文節ごとに「西行寺幽々子は〜」という書き出しで始まるのが個人的には結構気に入ってたりします。
 最後の一行は「お嬢様の為に」と微妙にリンクさせたつもりだったりしますが言わないと気付かないレベルですね(苦笑)

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