永遠に同じ夢を抱いていることは
 楽しいことか悲しいことか
 或いはそれを知りたかったから
 あの春の私は、西行妖に執心していたのだろうか



 障子を開けた西行寺幽々子は、目に飛び込んできた景色に軽い目眩を覚えた。
 何故なら彼女はつい先ほどまで薄暗い寝所で眠っていたばかりで、光に目が慣れていなかった。
 そして、強烈な陽光によって白くおぼろに浮かび上がる白玉楼の庭は、ちょっとばかり眩しすぎた。

 季節は夏の盛り。
 白玉楼では長く長かった、そして幻想郷にとってはほんの一瞬の春を吹き飛ばして、それはすぐにやってきた。
 あれほど咲き誇っていた桜も今はすっかり葉桜となり、緑溢れる二百由旬の庭ではすっかり存在感を控えめにしていた。

「あ」
 抜けるような青空に向かって青々と茂る植木を相手に激しい剣舞を交わしていた庭師が、寝所から姿を見せた主人の存在に気付く。
 作業を中断して鮮やかな手付きで楼観剣を鞘に収め、魂魄妖夢は幽々子の元へと駆ける。
「おはようございます、幽々子様」
 かぶっていた麦わら帽子を小脇に抱え直して一礼。
「おはよう。朝から精が出るわね、妖夢」
 それを聞いた妖夢は一度目を丸め、それからクスッと笑うと、燦々と照りつける太陽が既にだいぶ高い位置にあるのを指し示して、
「もうお昼も近いですよ」
 幽々子も空を見上げて「そうみたいね」と苦笑した。

「では昼食にいたしましょう」
「あら。まだ仕事が途中なのではなくて?」
「剪定は日が傾いていても出来ますが、昼食はお昼にしか食べられません」
「それもそうね」

 今までずっと直射日光の下で作業をしていた妖夢は、日陰に入ると、自分の躯の中にたまっていた熱気を追い出すように大きく「ふー」と息を吐いた。
「外は暑い?」
「それはもう。夏ですから」
 答える妖夢の服装は、半袖のYシャツに薄手のスカート。春先はつけていた蝶ネクタイも今は外して、幽霊楽団の三女のように襟元を少し開いている。おかっぱ頭の髪の影から覗くうなじには、かすかに汗が光っていた。
 妖夢は半分人間という性質上、少しだけ寒暖の影響を受ける。普通の人間ほどは暑くもないので、この前白玉楼を訪れた巫女は「羨ましい」と言っていた。
 「そう」と頷く幽々子の装いは、普段と変わらない袖も裾も長い装束。ひらひらとした装飾がそこかしこに付いた服装は、この前白玉楼に来た魔女に「暑苦しい」と酷評された。
 幽々子は亡霊であるから、寒暖の影響をほとんど受けない。だからいつも自分の好みで服を選ぶ。

「妖夢」
 目の前を通り過ぎて厨房に向かおうとしていた妖夢の、ふとしたことが気になって、幽々子は彼女を呼び止めた。
「はい?」
 振り返る少女の肩をしっかと捕まえると、幽々子は妖夢の赤褐色の瞳をじっと見つめた。
「貴方、また少し背が伸びた?」
「え?」
 どうだろう、と妖夢は首を傾げようとして、主人の手がそれをぐぎぎとまっすぐに直した。
「みょん」
「じっとしてて」
 顔を歪める庭師の頭に幽々子はぽんと手を乗せる。
「やっぱり大きくなったんじゃない?」
「私はそんなにすぐには成長しませんよ」
「そうかしら」
 頭から離した手を、ぽふっと妖夢の胸に押し当てる。
「みょん!?」
「そうかもね」


 半分人間である性質上、魂魄妖夢はゆっくりと年を取る。
 亡霊である私は、妖夢と出会うずっと前から今の姿のまま。背丈だって一寸とて伸びていない。
 多分私はこれから先も、ずっと今の姿のまま。
 多分妖夢はこれから先も少しずつ成長していって、いつか私は妖夢を見上げることになるだろう。

 そして、多分。いつかはいなくなってしまうのだ。先代の庭師、妖忌のように。


 妖夢が剣士の動きで間合いを離す一瞬前に、幽々子は何気ない動きで彼女の躯を胸の内に収めてしまう。
 それから、瞬間的に桜の咲いた妖夢の頬に、自分のそれをすりあわせる。
「ゆ、ゆゆこさま!?」
 妖夢が暴れようとしたのがちょっと鬱陶しかったので、幽々子は彼女を押し倒してしまうことにした。
 そして、困惑の極みに達して動けなくなった妖夢の顔をじっと覗き込む。


 初めて妖夢と出会った時、この子はまだ小さな小さな小さな女の子だった。
 あの日から私の日常は変わったのだ。
 ゆっくりゆっくりと成長していく妖夢の存在が、静止していた白玉楼の、そして私の時間をゆっくりゆっくりと動かしていた。

 生ある者が必ず死に至るように。初めがあるならいつかは終わりがやってくる。
 妖夢と共に過ごすこの日常にもいつかは終わりが来るのなら。
 今、私の力でこの少女の半分を死に誘ったならば。
 私は幽霊となった妖夢と、この白玉楼で永遠に過ごし続けられる?


 自分の思考に沈んでいた幽々子は、自分の頭に回されようとしていた両腕に気付くことは無く。
 ハッと気が付いた時には彼女の顔は妖夢の「成長してない」胸にかき抱かれていた。
「妖夢?」
「ご無礼を承知で」
 妖夢の躯の上で彼女を「見上げる」形になりながら、幽々子は怪訝な表情を形作る。
 主人の視線を受けて、妖夢は少し恥ずかしそうに、でも笑顔を見せる。
「幽々子様がなんだかとても寂しそうに見えたもので。
 大丈夫です、お嬢様。私はずっとここにいます。
 二百由旬のお庭と、幽々子様の傍こそが、私の居場所なんですから」


 私はやはり正しかった。
 魂魄妖夢はやっぱり、去年の夏よりもしっかり成長していた。主人の心情を薄々にでも察して、このような言葉がかけられるくらいに。
 私は驚くほど愚かだった。
 魂魄妖夢の半分を死に誘ったのなら、残った妖夢はやっぱり半分だけの魂魄妖夢でしかない。
 去年の夏には言えなかったんじゃないかという言葉も、今こうして触れた場所から伝わる温もりも、きっともう半分と一緒に死んでしまうのだ。


「妖夢」
「はい」
 幽々子はふふと微笑んで、
「温かいわ。貴方は」
「…………さっきまでずっと外に出ていましたから」
 向けられた笑顔に恥ずかしさが限界を越えて、妖夢はふいっと視線を逸らした。

 幽々子は妖夢の腕をやんわりとほどくと、躯を起こした。それから妖夢の手を取って起き上がらせる。
「昼食にしましょう。今日は何を」
「そうめんです。今日のような暑い日はこれが一番です」
「(私は別に暑くないのだけど)紅いそうめんは私のね」
「それじゃ、緑は私が頂きます」

 台所に立つ妖夢の背中を見つめながら、幽々子は思いを馳せる。
 これから始まる今日に。今日が終わって訪れる明日に。明後日に。いずれやってくる秋に。冬に。
 半分幻の庭師と共に過ごすであろう日々に。

「妖夢」
「はい」
「昼食を終えたら可及的速やかに庭の手入れを終えること。
 それが済んだら付き合いなさい。久しぶりに弾幕(や)りましょう」
「……みょん」
 主人より伝えられたハードスケジュールに庭師は思いを馳せ、小さく嘆息する。


 もう一度春が巡ってきた時
 今度はどんな春になるだろう?



後書き

 東方最萌に投下したものに加筆修正。公開当時最萌仕様だった後書き部分を改訂。

 妖夢を押し倒すお嬢様が無性に書きたくなってばーっと書いてしまった作品です。

 ゆゆの選んだ紅いそうめんは彼女の象徴たる桜を暗喩し、妖夢の選んだ緑色のそうめんは彼女の守護する西行寺家の庭の緑になぞらえたものです。
 嘘です。後付けです。

 「弾幕(や)る」という東方独特の文法を使ったのは本作が初めてなんですが、東方という世界を端的に表した素晴らしい造語だと思います。
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