「……んが」
自分でもマヌケだと思う情けない声を上げて、俺はうっすらとまぶたを開く。どうやら、また気を失っていたようだ。
まだ視界がぼやけている。アイツに盛られた薬のせいか、それとも俺の意識が覚醒しきっていないせいか。
そう、俺が気を失っていたのも、アイツに(また(今日も(しかも3度目!)))妙な薬を盛られたせいだ。何を考えているのかあの毒娘、何か新しい調合が出来るたびに俺に盛りやがる。
一度ガツンと言ってやるか……でも報復が怖いので、もう少し勇気を貯蓄してからにしよう、うむ。
「……あ、魚匠、気付いた?」
若い女の声が耳に入る。んー、多分千郷か? 俺は返答しようとして、舌がまだうまくまわらないことに気がついた。そういえば体にも力が入んねー。ったく千柚のヤツめ。
「ん……ああ……」
一度まぶたを閉じてから、もう一度開く。千郷のシルエットがぼんやりと見えた。
お、なんだ千郷。今日は巫女服じゃないのか。しかも髪まで切って……
…………
「って、千柚か!?」
急いで上半身を起こす……起こそうとして、全身にぴきぴきと痛みが走った。と、千柚がはっとした表情をするなり、俺の両肩をガッと掴んで、
「もうちょっと寝てないとダメ!」
後頭部をクッションに落とされる。ぐ、ちょっと痛かったぞ。
しかし、どうも体の異常が尋常でない。どうやら全身が麻痺状態にあるようだ。仕方が無いので千柚のなすがままにされる……かなり嫌だが。
俺は俺を見下ろしている千柚の顔を見上げ……その時になって、千柚に膝枕されていることに気がついた。
「あのー、千柚さん。説明を求めていいんでしょうか」
ちょっと恨みがましい視線と声で訊ねると、千柚のヤツは珍しく、すまなそうな表情をして、
「うん……さっき魚匠に飲ませた薬なんだけれど、魚匠が倒れた後に、分量を間違えたことに気付いてね。本当に死んじゃうところだったの」
ザケンナ、と心の中で絶叫する。現実世界で叫ぶには、ちょっと状況ってヤツが悪い。
「で、俺はなんとか一命を取り留めましたーってヤツですか」
すると千柚は何故か頬を赤らめて、俺から視線を逸らす。
「……あ、う、ん。解毒剤、使ったから……その代わり副作用で体が麻痺してるから、だからもうちょっとじっとしてて」
「…………?」
何か隠しているのは間違いない。しかし今は黙っておこう。確かに体は動かねーし。
……正直、悪くはない。ね」
いや違う、違うぞ! 俺は断じて千柚の膝枕が気持ちいいとか、そういう心積もりじゃなく! ただ、いつも傍若無人で、俺を実験魚類としてしか見ていないこいつが、珍しくしおらしいから、もうちょっと大人しいといいなーと!!
「魚匠、どうしたの? まだ苦しい?」
「……いや、なんでも」
葛藤している間、どうも変な顔をしていたらしい。なんでもない旨を告げてやると、千柚は安堵した顔で、俺の髪を撫でる。
…………。
奇跡的だ。まさかこれほどしおらしい千柚を見ることが出来るとは。
しかし、こうしてまじまじと見ると、やっぱり千郷の妹なだけはあるな。母親似の美人だ。毒物狂いでなければ、随分男受けするだろうに。
…………。
い、いや、あくまで客観的な意見であって、断じて千柚を可愛いなーとか思ったりもしたわけでは無いわけで、っていうか思ってたまるか、千柚だぞ千柚!
……俺はさっきから誰に言い訳してるんだ。
「やっぱり苦しいの?」
「いや、心の法廷で弁護人が異議を唱えて」
「何それ? 変な魚匠」
さっきからずっと心配そう顔をしていた千柚が、くすっと笑う。
判決。やっぱりちょっと可愛いと思ってます。
「千柚ー?」
と、千郷の声が響いてくる。千柚は顔を上げると、声のした方を見た。俺も首を動かそうとして、はたと気付いてやめる。まるで千柚の足に頬擦りするみたいになるので。
「お姉ちゃん、呼んだ?」
「召喚かかったから、すぐ準備して……あら魚匠、随分良い席で寝てるわね」
千郷がぬっふっふと笑う。お前、オヤジくさいぞ。や、事実逃げているのだろう。
千柚は自分が座っていた座布団を足の下から抜くと、丸めて自分の膝の代わりに、俺の頭の後ろに入れた。
「それじゃ魚匠、体の痺れが引いたら、起き上がってもいいから」
「ああ、分かった」
「…………」
千柚のやつ、なんかじっと俺の顔を見てやがる。気のせいかちょっと恥ずかしそうな……いったい何だ。
「どうかしたのか?」
「う、ううん、何でもない。行こ、お姉ちゃん」
そして二人はとたとたとその場を立ち去る。後に残されたのは俺一人。ぽつーんと大の字になっている。客観的に見ると、凄くマヌケなのでは無かろうかと嘆息。
はて、何か心に引っかかる。
「…………」
そういえば、千柚の奴、解毒剤を使ったとか言ってたよな……。
……待て!? 意識の無い俺に、どうやって解毒剤を!?
ま、まさか、まさか……!?
「何動揺してるのよ、魚匠くん」
「ぎょギョ魚っ!?」
いつの間にか、千尋が間近に立っていた。
「ち、ちちちち千尋サン!? いったいいつの間に!?」
「可愛い千尋ちゃんが甲斐甲斐しく貴方を看病しているところから、一部始終」
そうだ。そういうヤツなんだ、コイツは。
「それよりも魚匠くん、随分気になってるみたいね。千柚ちゃんが解毒剤をどうやって投与したか」
「ギクッ!?」
こいつはマジで人の心が読めるのか。それとも単に俺が表情に出しすぎただけか!?
いや、それよりも。真実を知るためらいも大きいが、それ以上に好奇心が勝る。
ぎょくりと唾を呑み込むと、俺は千尋に問い質すことにした。
「そ、その、千柚はやっぱり……く、く、く」
「口移し?」
や、やっぱりそうなのかーっ!?
たた確かに寝ている人に薬を飲ませる手段として口移しはもっとも基本的なやり方だがしかし相手は千柚で飲ませたのは俺でだとしたら俺と千柚がそういうことででもこれは事故だ事故なんだが男としてはやはり責任を取る必要があるのかうわあああ
と、ふと我に返ると、千尋が実に面白そうに俺を見ているではないか。眼鏡の奥で細められた瞳に「もー魚匠くんたらおバカさんねぇ」と言われている気が、思いっ切りした。
「……違うのか?」
「フフフ……まあ、当たらずと言えども遠からずかしらね」
「と、遠からず?」
違う、ということでひとまずは安心したのだが、遠からず? 遠からずってのはどういう意味だ?
ひとしきり考え込んでから、それでもやっぱりよく分からなかったので、俺は千尋をちらっと見た。俺が説明を望んでいることをきっちり察してくれたらしく、千尋はにっこりと笑うと、
「口は口でも、下の口から……」
その瞬間、俺の意識は真っ白に染まった。
「なあんてね。冗談よ……あれ、魚匠くん? ……魚匠くーん?」
「千柚、何かさっきからうっとりしてるね。何かあったの?」
「初めて使ってみたんだけど、注射器って良いね……中身を押し入れる時に手に伝わる感触。思い出しただけでもドキドキしちゃう……」
「私、なんでこんなヤツの姉なんてやってるんだろう……」
「今度、お姉ちゃんにも使ってあげようか」
「遠慮シマス」
戻る