「千尋、か……」
「お母さんか……昔から全然変わってないんだよね」
「ん?」

「ふぅ〜」
 首をぐきぐきと動かしながら部屋に入ってきた青年を、口にせんべいを加えながら寝転がって本を読んでいた少女の視線が出迎える。
「ん、ほはふ、おふはえ」
「行儀悪いぞお前」
 彼女、千柚は起き上がると、青年に向き直り、くわえていたせんべいを噛み砕いて咀嚼する。
 それから、にこっと笑って、
「今日はヒトガタなんだね、魚匠」
「おう。さっきまで人型でやってたからな」
 魚匠(人型)はそう言うと、卓袱台の脇にどっかと腰を下ろして、菓子鉢からせんべいを1枚取る。
 それからふと視線を動かすと、自分の仕草を何やら楽しげに見つめている千柚と、目が合った。
「……なんだ?」
「あ、いや、なんでも」
 視線を逸らして誤魔化そうとする千柚に、思わず「……変な奴」と口の中で呟く魚匠。
 それから、二人とも何となく言葉が続かなくなる。しばらくの間、せんべいをかじる音だけが静寂を追い払う。
「……なあ」
 だらしなくあぐらをかき、卓袱台に肘をつくという非常に不作法な姿勢で、魚匠は千柚に話しかける。
「え、何?」
「前から思ってたんだが……お前ってどうして、千郷より目立とうとしてるんだ?」
「へ?」
 その疑問は、以前に魚匠が、千郷のボヤキとして聞いたものだった。千柚はどうして私と張り合おうとするんだろう。私の方がというところを見せようとするんだろう、と。
「う、え、あ〜」
 問われた千柚は、あからさまに動揺していた。口の端をひきつらせ、忙しげに両手で宙を掻いている。
「なんでだ?」
 覗き込むように千柚の顔を伺う魚匠。千柚は動きをはたと止めると、う〜とうなりながら上目遣いでこちらを見つめ返す。彼女にしては珍しい、子供っぽい仕草だ。
「……秘密」
「言えないのか?」
「……言いたくない」
「そっか……」
 魚匠は頭をざしざしと掻くと、
「千尋にでも訊いてみるかな」
「だめーーーーっ!!」
「どわっ!?」
 突然の大声に、魚匠はあぐらをかいたままスッ転ぶ。大声を出した張本人はといえば、心持ち頬を紅色に染めながら、肩を大きく上下させていた。
「……な、なんだよ。いきなり大声を」
 彼の言葉は、
「魚匠にはお姉ちゃんの次に知られたくないけど、でも魚匠がお母さんの口から聞いたりするのはもっとイヤなの!」
 矢継ぎ早につむがれる彼女の声に遮られる。
「…………」
「…………」
 魚匠は半分倒れた姿勢のままで、千柚は彼に向かって上体を突き出した姿勢で、そのまましばらく見つめ合う。
 どうにも理解不能な千柚の態度に困惑しながらも、魚匠はやや憮然とした顔で訊ねた。
「……じゃ、教えろよ」
「わ、分かったわよ……言う、から……」
 それから彼女は、恥ずかしそうに顔を逸らすと、かき消えそうなほどの小さな声で、
「私の方が良いよってことをアピールして……お姉ちゃんの代わりに、私がメインになれば……」
 これ以上ないほど、顔を赤くして、
「……今よりもっと、二人きりでいられるでしょ? …………魚匠と」
 魚匠の表情が固まる。
 何かを言おうとして、口を動かすが、あまりの驚きに言葉にならない。
 恥ずかしさからか、俯けた顔を両手で隠す千柚。なんとか内心の激しい動揺を押し留めて、彼は、やっと声を出した。
「……千柚……お前……」
「………………うん……」
「冗談じゃない! そんなことになったら、今以上にお前の薬の実験台にされるじゃねーかぁ!」
「こんの超弩級単細胞硬骨魚類ィッ!!」
 かけ声と同時に、千柚のストレートが魚匠の顔面中央にクリーンヒットした。

「…………ってマジデスカ!?」
「あら、やっと準備出来たのね」

「あ、交替だ」
 千柚は立ち上がって、それから、自分のパンチのショックで魚に戻った魚匠を見下ろす。お面の隙間から微かに覗く目は、ぐ〜るぐ〜ると回っていた。
「……バカ」
 恥ずかしそうに、残念そうに、楽しそうに、或いは「仕方がないな」或いは「よかった」そうとも取れる響きの呟きをしてから、少女は魚匠を水槽に投げ入れた。

「来る〜来る〜奴が来る〜」
「……何隠れてるの、お姉ちゃん?」
 さあ、今日も頑張らないと。

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