‘K’

※このSSは、「BUMP OF CHICKEN」の「K」という曲にインスパイアされて書いたSSです。
 当該曲を知らない方は楽しめないかと思います。申し訳ありません。



 暖かい。
 最初に感じたのは、全身を包む温もりだった。
 よく晴れた春の屋根の上を思わせる快い暖かさに、俺は醒めかけていた意識をもう一度夢の世界へ委ねた。

 だのに、あまり見たくなかった夢を見て、俺は跳ね起きた。
 それから、全身を襲う苦痛に身体を硬直させる。
 視界の隅でチェック柄の布が床に落ち、ふぁさっと微かな音を立てる。
 ようやく痛みが治まってきて、俺は体中から力を抜くと、先ほどまでうずもれていた白いベッドに再び身体を預けた。

「あ、目が覚めたんだね」

 聞き覚えの無い、人間のメスの声。

《もう、うるさいよ黒猫さん……大変! ひどい怪我!》
《え、なに? ……てがみ?》

 いや、微かに聞いた記憶があるような、無いような。

 その時になって、俺はようやく気付いた。今自分のいる部屋が、慣れ親しんだ狭い四畳半では無いことに。
 俺が身体をうずめている場所も、ボロ布で作った寝心地の悪いベッドではない。バスケットに白いタオルを敷き詰めたふかふかの寝床だ。
 なんという体たらくだ。そんな大事なことに今まで全然気が付かなかったってのか。
 っていうか俺は何でこんなところに居るんだ。

 思い出した。
 アイツの手紙を届ける為に、俺は走って、走って、走り続けて。

「もう3日も寝てたのよ。お医者さんもね、『コイツはダメかもしれんな』って言ってたの。
 でも、良かった。目を覚ましてくれて」

 軋む身体を何とか動かして、俺は、俺に嬉しそうに話しかけてくる声の方を向く。

 声の感じからそうだろうとは思ったが、俺に話しかけていたのは、それほど歳のいってない人間のメスだった。
 黒髪を腰まで伸ばして、にこにこ笑う顔では大き目の黒い瞳が細められている。
 なんか妙な模様が入った赤と黒のワンピースの上に、これも黒のカーディガンを羽織ってる。

 そいつが手に持っていた、ミルクの入った皿に目が行ったところで、俺の腹が悲鳴を上げた。

 メスは俺を両手で抱き上げる(結構痛かった)と、床に置いた皿の前に俺を座らせた。
 本能から来る欲求に素直に従い、一心不乱に白い液体を飲み続けてると、不意に声をかけられた。

「ありがとう」

 嬉しそうな、悲しそうな声。
 それから、そいつは包帯をぐるぐる巻かれた俺の背中をそっと撫でる。
 はっきり言って、痛い。
 普段の俺なら間違いなく、睨みをきかせながら「痛ェ」だの「触ンな」だのと低く唸るところだ。

 そいつが、緑色の表紙のスケッチブックを抱きしめてなかったなら。
 アイツが大事にしていたスケッチブックを抱きしめてなかったなら。
 黒猫の絵ばかり書かれたスケッチブックを抱きしめてなかったなら。

 皿が空になってからも、そいつはずっと俺の背中を撫で続けていた。
 俺は黙って撫でられ続けていた。



「今宵」

 俺の名を呼ぶそいつ。

『今宵。
 俺の故郷の夜もな。お前の毛並みと同じくらい、黒くて、綺麗な色をしてるんだよ。
 だからな、今宵。お前の名前だ。カッコいいだろ』
『センスねーよ、莫迦』

 アイツがつけた名。

「あの人の手紙の中に、今宵、貴方のことも書いてあった。よろしく頼む、って。
 帰るところ、無いなら、私のところに居ない?」

 返事は決まってる。
 ハッキリ言えばあの道のりをまた辿って戻るなんて考えただけでイヤになる。
 それに。
 目の前のメスは、どう見ても「居てくれなきゃとても困る」って顔をしてやがる。

 忌み嫌われていた俺に、生き続ける意味を、走り続ける意味を与えてくれたアイツは、もうあの街のどこにもいねぇ。

「名前」
「え?」
「鈍いな。お前の名前だよ。俺がお前呼ぶ時に困ンだろ。花子か? 黒子か? 毒子か?」
「違うよ」
 そいつは唇を突き出してふくれる。
 それから、胸に手を当てると瞳を閉じて。
「我が名はつぐな。つぐな・ホーリーナイト」
「カッコつけんな、莫迦」

 『今宵』。
 アイツの付けた名前で俺を呼ぶヤツがいるなら、今ひと時そいつにくっついてるのも悪くはない。






☆★☆ おまけ ☆★☆

「ところでひとつ疑問なんだが」
「なに?」
「俺、アイツと1年半くらい向こうの街にいたんだがな。
 つまりアイツは少なくとも1年半以上前にここを飛び出してったってことだよな」
「うん」
「……恋人、だったんだよな」
「うん……な、なに? ジロジロ見て」
「アイツがロリペドだったのか、それともお前が全く成長してねえのか。
 どちらにしても残酷な話だな」
「…………あー」

戻る inserted by FC2 system